2017年3月30日木曜日

〇3.18(土)滋賀県野洲市・国宝「大笹原神社」、重文「篠原神社」

〇国道8号線を南下して野洲市に入ると、大篠原という在所がある。そこに「国宝・大笹原神社」の道端案内が出ている。案内に従って訪ねると難無く国宝に会うことができる。
 ↓境内
 ↓拝殿
 ↓右が国宝・大笹原神社、左端の小社が重文・篠原神社(餅の宮とも呼ばれる)。
 〇国宝・大笹原神社。湖東では珍しい入母屋造。三間社・檜皮葺。際立って優雅な建物で、装飾性も豊か。応永21年(1414)建立


 〇重文・篠原神社。餅の宮。応永32年(1425)建立


 安倍の池。水深はせいぜい20~30cm底が丸見え。なのに↑説明文が振るっている。「この池は沼であって、水深極めて深く近郷にその類をみない。いかなる干天と雖も常に浸水して涸れた事がない。往古御神輿二基を打沈めたが、今以て池底に沈んでいる。」そういう時代もあったのかも知れないが、今はとても信じられない。

〇3.18(土)近江八幡市千僧供(せんぞうく)「八幡社」、重文・本殿

〇先週末は八幡社を探索して見当違いの八幡神社に行ってしまった。努力したのに→リンクhttp://takashikun.blogspot.jp/2017/03/311.html
今回はNETで綿密に下調べして臨んだ。が、到達するのはなかなか難しかった。しかし発見してみると、そこは国道8号線を走っていると自然と目に付く場所だった。近江八幡の郊外の在所になる。地名は「千僧供(せんぞうく)」という。この地名が奇妙であるだけでなく、国道と旧道の交差の仕方が独特で(Y字型)、ここが由緒ある在所であることを感じさせた。そして巡り巡ってボクの探し求めた古社はこの由緒を感じさせた在所に鎮座していたのだ。さもありなん。

 ↓境内。拝殿
 拝殿
 ↓左から拝殿の庇、拝門・瑞垣、本殿
 ↓右・拝殿、左奥・本殿
↓拝門
 ↓重要文化財・本殿
  〇現存する本殿は文禄5年(1596)に完成。それ以前の本殿は、信長の兵火で焼失。


〇よくぞ到達し得た。己が執念に感心。

2017年3月29日水曜日

〇3.18(土)彦根市「長寿院弁財天堂」、重文・弁財天堂

〇彦根市で先ず千代神社を探訪し、それから重文・弁財天堂に向かった。これが難行だった。国道から入って行く道が見当たらない。やっとのことで↓地図の赤色・現在地まで辿り着いた。が、何とJR東海道本線を渡らねばならない。車を乗り捨てることになるが、駐車場がない。ボクはハリアーを狭い小路の路傍に寄せて停めて歩き出した。
 ↓鳥居の向こうにJR東海道本線の踏切がある。鳥居の背後の山の上に弁財天堂が在る

 電車が頻繁に往来する
 ↓踏切を渡ると地蔵堂があり、
 直ぐに苦手の石段登りが始まる。それも半端な登りではない。


 ↓ようやく楼門が見えてきた

 ↓楼門は二天門。右に毘沙門天、
 左は「ただいま保存修理を行っております」
 毘沙門天(多聞天)は北の守護神だから、これは南の守護神・増目天だろうか。
 ↓楼門を潜ると、境内側にも守護神がいた。これは狐か犬か。多分狐だろう
 ↓境内から見た楼門

 ↓楼門前から見た弁財天堂・右と、左に名の知れぬ御堂
 ↓楼門前から見た左・弁財天堂と右・阿弥陀堂
 ↓弁財天堂・本堂。重要文化財



 ↓本堂の後ろに礼堂が見える。重文
 ↓礼堂
 ↓本堂前の賽銭箱・大鈴の所から礼堂内が見えて、本尊の弁財天像が見えた。
 ↓本堂の左に建つ名の知れぬ建物
 ↓宝蔵。校倉造り
 ↓小高い所に阿弥陀堂


 ↓阿弥陀堂から見た弁財天堂・本堂
 ↓阿弥陀堂から見た楼門と宝蔵
 ↓弁財天堂・礼堂の背後に奥ノ院がある
 奥の院
〇奥の院から佐和山に達するハイキングコースがある。後日知ったが、左和山の麓にある清凉寺の前から弁財天堂に至る車道がついているそう。だが、表参道はあくまでJR東海道本線の踏切を徒歩で渡るルート。滋賀県指定の文化財は、楼門・宝蔵・阿弥陀堂・経蔵の四件だが、経蔵はその車道を登って来ると会えるらしい。清凉寺は彦根・井伊家の菩提寺で曹洞宗寺院。一度訪ねたことがある。機会があったら車道から弁財天堂に登ってみよう。