2017年9月30日土曜日

〇9-30(土)「ひよっこ」最終回を見届けてから旅に出た。週末好天すぎて家で過ごしては罰当たりもの

七尾発午前945分。目的地は大阪府北部。ここに未探訪重文建造物が5件ほど残っている。その後に大阪城探訪が大きな宿題としてある。そして河内南部の富田林市に一件飛び離れて残っている。これらの探訪を成就すれば大阪府下の重文建造物虱潰し探訪の旅が完了する。
①今日は先ず枚方市の「厳島神社末社春日神社本殿・重文」を訪ねた。到達したが、何と駐車場が全然ない。一車線あるやなしの路地道が入り組むばかりで駐車などもってのほかの地域。ようやくのことに「崖下・駐車禁止」の立看のあるスペースを見つけて立看を隠すようにハリアーを停めてそこから歩いて行って写真を撮って来た。
②次は高槻市の「普門寺・重文方丈」。ここも狭い路地道を行ったところにあり分り難かった。ようやく辿り着いた時は午後450分。閉門時刻は午後4時半でout。しかも拝観は要予約(拝観料400)。要予約が肌に合わない。二度とこの寺には来ない。
午後5時。秋の日は短くなった。今日はここで探訪を打ち切るしかなかった。さてどこに泊まるかだが、カーナビで探しても大阪府下には適所が無い。「道の駅・ガレリヤかめおか」を当たってみると北部の山を県道6号線で一直線に北上して着く。所要1時間。ここに決めて午後610分に到着し、食事を終えてこの文を書いている。明日は先ず池田市で2件、豊中市で1件の重文建造物を探訪していよいよ大阪城に取りつく。ここは広大で重文も多いのでここで時間を使い果たすのじゃないか。富田林市は後日となるだろう。

2017年9月29日金曜日

〇9-21(木)山梨県北都留郡小菅村「長作観音堂・重文」

〇小菅村は山梨県東部の奥山深くにある。奥多摩と境を接する。大菩薩峠の北にある。
↓中央奥に「長作観音堂」が見える
↓観音堂の手前の建物は「寺小屋自然塾」

〇「重文・長作観音堂」 古くから安産や養蚕祈願の信仰に支えられてきた如意輪観音像を祀るこの観音堂は、もと長谷寺(鎌倉建長寺末寺)の一堂宇だったが、明治初年に長谷寺は廃寺となりこの観音堂だけが残った。この観音堂は、藤原期の住宅手法をひく仏堂建築の流れに沿うもので、鎌倉時代にその洗練された意匠や技法が草深い甲州にもたらされた遺構として貴重。


↓右側面
↓背後
↓左側面



〇御堂の傍に咲いていた花
↓昭和38年解体修理前
↓復元修理後

2017年9月28日木曜日

〇9-21(木)山梨県甲州市「向嶽寺」重文中門

〇この寺は、臨済宗向嶽寺派の大本山。
↓総門
 ↓総門に並んで檜皮葺の門がある。これが重文・中門だろう




 ↓内側から見る

 ↑↓この架け橋は中門から一直線上にある
 ↓さらに一直線を延ばしていくと仏殿がある



 ↓仏殿の内部
 ↓左端・仏殿。右端は方丈か。中央奥に門がある
 ↓その門に近づく
 ↓門の柱に「向嶽寺専門道場」の案内板がある。この中は坐禅堂だろう
 ↓これは庫裡か
 ↓中央やや左に石造丈六仏、その背後の建物は庫裡か。右端に鐘楼
 ↓石造丈六仏

 ↓境内に神社がある

〇9-21(木)山梨県甲州市「恵林寺(えりんじ)」重文四脚門、心頭滅却すれば火もまた涼しの寺

〇恵林寺は臨済宗妙心寺派。甲斐武田氏の菩提寺。大寺
↓総門
潜る
↓参道奥に赤門・四脚門が見える

〇重文・四脚門(赤門)


↓潜る



↓さらに進むと参道奥に三門が見える。手前に大池がある
〇三門・山梨県指定有形文化財。
天正10年(1582)織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏は滅亡する。織田氏は恵林寺に逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡しを要請するが寺側が拒否したため恵林寺は焼打ちに遭った。この際、快川紹喜和尚が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自から涼し」(碧巌録43則)の偈(げ)を発して火定(焼死)したといわれる。
↓開山堂兼法堂。後方の大屋根は本堂



↓鐘楼
↓三重塔

↓庫裡。左端に式台(玄関)・本堂が見える。明治38年(1905)の出火で、庫裏・本堂その他の堂塔伽藍のほとんどは焼失。庫裡・本堂はその後再建
↓式台・玄関
↓本堂


↓明王殿。武田不動尊が祀られている

↓経蔵

〇庭園は国指定名勝