2017年8月9日水曜日

〇8-5(土)福井県敦賀市「水戸烈士・武田耕雲斎の墓」水戸天狗党の末路

〇「水戸烈士殉難之碑」。いわゆる水戸天狗党の末路である


↓「武田耕雲斎等の墓 朝廷に志を訴えようと挙兵した尊王攘夷派の水戸天狗党が敦賀で捕えられ処刑された。その悲劇のヒーロー武田耕雲斎ら水戸烈士の墓や、耕雲斎の銅像が松原神社近くにあります。また捕縛中に多くの病死者を出したというニシン倉が、記念館として保存されています」


↓「水戸烈士追悼碑」


↓「水戸天狗党ウォーク完歩記念碑」昭和63年10月に、水戸天狗党が水戸から敦賀まで紅軍した1,100kmのコースを38日間かけて完歩した茨城県歩け歩け協会の人達がいた。


↑↓「武田耕雲斎らゆかりの地」
↓「武田耕雲斎等墓 元治元年十月水戸藩士武田耕雲斎の党は尊攘の大儀を唱え西上の途次越前に入り十二月敦賀郡新保宿にて大雪に遇い慶喜の軍門に下れり翌五年二月幕府は耕雲斎以下353名を斬首せり。今此の墓地は当時の刑場にして遺骸を埋めて土盛り、方12間高さ8尺、西面して13基の墓が建てられている。‥‥」
↓「武田耕雲斎等の刑死」 合計353人が5回に亘り処刑された。捕縛されたとき、800数十名いたそうで、彼らは皆敦賀港の鰊倉14棟に押し込められた。衛生状態が酷くまた極寒の中、多くの病人死者を出し(病死者は20名)、刑死者以外の人達は或いは遠島・或いは放免になった(遠島者も後に謹慎処分に減刑された)。
↓小高い墓地までの道の両脇に、追悼の木碑が立てられている。すべてが茨城県の県・市町村関係


↓武田耕雲斎の銅像


↓「史蹟・武田耕雲斎等墓」


「水戸藩士墳墓之□」


↓13基の墓




↓刑死者の名前が刻されている


↓墓の上から刑場を眺める
〇水戸烈士の英霊は、靖国神社に祀られたと聞く

0 件のコメント:

コメントを投稿