2017年5月2日火曜日

〇5-2'(火)訪問先を列挙する。「白河の関」。近間の「都々古和気(つつこわけ)神社」「槻木都々古別(つきつつこわけ)神社」。浜通りに出ていわき市の「国宝・白水阿弥陀堂」再訪。同市の「飯野八幡宮」、同市の「専称寺」は修復中。浜通りを北上して相馬市の「涼ヶ岡(すずみがおか)八幡神社」、同市の「中村相馬神社」探訪

〇「道の駅やいた」を07:40に発つ。前日までの走行距離946km。白河の関に隣接する公園で芭蕉と曾良の銅像を撮影。意外と小振りな像。とにかく本望を果した。白河の関自体の訪問は四度か五度目。序でに白河の関のある旧街道筋を走って気付いた地名をメモしておくと、関山(せきさんと読む)、古関郵便局(こせきと読む)。関山万願寺という寺があったから関山には車で登れるかも。近間の「都々古和気(つつこわけ)神社」重文本殿も探訪(最近重文指定されたよう)。そこで案内図を見て「槻木都々古別(つきつつこわけ)神社」に興味が湧いたのでそこも探訪。驚いたことにこちらは国幣中社の看板を掲げる(それなりに立派)。そう言えば両社共に奥州一ノ宮の看板を掲げていたのには驚いた。
〇ここで決断して福島県の山々を横断して浜通り地方に出た。こちらにも見るべき神社仏閣が結構ある。いわき市で国宝「白水(しらみず)阿弥陀堂」を再訪。いかにも国宝という感じの御堂、浄土庭園の中央に建つ。同市の「飯野八幡宮」も探訪。ここは重文の宝庫。本当かどうか分らぬが神社の掲示によると、重文建造物は、楼門・神楽殿・唐門・宝蔵・拝殿・幣殿・本殿・若宮神社本殿なんだそうで、ボクはこんな盛況な神社を見たことがない。遺憾なことに肝腎の拝殿・幣殿・本殿が修復中で見れない。無人だったのでボクは工事シートの奥に入り込んで本殿だけは垣間見てきた。立派だった。いわき市の「専称寺(重文は本堂・庫裡・総門)」も訪ねようとしたら東日本大震災で本堂・総門が倒壊したそうで非公開。残念。
〇浜通りを北上して相馬市に行く。ここに出色の神社が二社ある。「涼ヶ岡(すずみがおか)八幡神社」と「中村相馬神社」。これらがまた驚くべき神社。涼ヶ岡八幡神社に至っては、飯野八幡宮の上を行く。重文建造物を数えると、随身門・拝殿・幣殿・本殿、摂社若宮八幡本殿、末社亀齢社・外二社の本殿という有様。いずれも江戸時代初期の建立だが、重厚な造りに圧倒される。ここの拝殿・幣殿・本殿は将来国宝に近づける重文。中村相馬神社は相馬野馬追の祭礼の出発地。ここは拝殿・幣殿・本殿が重文なんだが、ナント修復中で・社殿が建っている岡の上に昇る石段に取り付けない。無念。社務所の前に社殿の模型が展示してあったのでそれを写して戻って来た。
〇今夜は宮城県南部の「道の駅・むらた」に泊まる。村田町、この道の駅、前に来たことがある。明日は、仙台に入り石巻に向うが途中で東光寺という寺の傍にあったという「十符の菅」を産したという地(その地の奥州街道は殊更に道幅が狭くて「奥の細道」とよばれていたそう)を訪ね、石巻で二、三ヵ所を当たり(塩竃神社の裏参道の登り口に芭蕉一宿の地がある、石巻グランドホテルの前にも一宿碑があるそう)、松島・瑞巌寺でも二、三当たり(修復がなったはずの瑞巌寺と「西行戻しの松」と芭蕉一宿の地の見分は欠かせない)、登米で芭蕉一宿の地の石碑を探し、平泉まで行き・衣川を辿り泉城跡を探訪する。これで大体日が暮れるのでないか。

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