2017年4月16日日曜日

〇4-16(日) 紀の川を渡り山中に入って紀の川市「三船神社」、更に山中を海南市に向い紀美野町「野上八幡宮」を探訪し、最後は海南市「長保寺」を訪ねた。

〇三船神社探訪は今朝になって突如思い立った。重文資料を検討していたら、紀の川市に重文本殿3棟を擁する神社があるのに気付いた。灯台下暗し。道の駅「紀ノ川万葉の里」を出発したのが午前8時半。紀の川を渡る手前で「西行法師銅像」に再会した。紀の川の南側の丘陵地帯を行く。この地方は桃源郷として知られる。以前絵になる構図を探して走り回ったことがある。
三船神社の在り処を土地のお爺さんに訊いて教えてもらった。参道石段を登った時は瑞垣の塀で固く防禦されていて写真にならないかと危惧したが、
一時間ほどかけて横手に回り・裏から攻め・塀に開けられた格子窓から覗くなど努力を重ねて何とか絵になる写真をモノにした。重文は、本殿と摂社2殿(丹生明神社・高野明神社)の合せて3棟。成果あり。

〇海草郡紀美野町の野上八幡宮は好都合にも海南市に行く道中に当たった。ここの重文は5棟ある。拝殿と本殿は直ぐ分った。残り3棟の摂社本殿が分らない。分らず仕舞いに終わる惧れもあった。何せ重文本殿とは言ってもまるで小さいのだ。重文がこんなに小さくていいのかと思えるほど。境内に居た老人が助けてくれた。石段を昇ったり下りたり、宮司に聞いてきてくれたり。摂社平野今木神社(若宮社)は立派だから自力で探せたとして、残りの摂社高良玉垂(こうらたまたれ)神社本殿と摂社武内神社本殿は老人の助太刀がなければ分らなかったろう。目出度し。
〇今日の最後の訪問地の海南市「長保寺(ちょうほうじ)」に着いたのは午前11時。暑い日となっていた。この寺は紀州徳川家の菩提寺。国宝が大門と本堂そして多宝塔の3棟という豪勢さ。前回訪れた時は修復中で、多宝塔しか拝観できなかった。その雪辱戦に再訪したという訳。歴代徳川家当主の廟の入口にある重文鎮守堂も拝観できた。この寺の所在地は海南市と云っても殆ど有田市(南)に近い。そこを出発したのが午前11時45分。
〇阪和道・和歌山jctから京奈和道で奈良県五條市まで行き、奈良盆地では混雑に辟易しながら所々出来かけの京奈和道に乗って(三度乗り降りした)、あとは京滋バイパス・名神高速・北陸道を伝って七尾に戻ったのが午後6時45分。走行距離数‥千キロは越えているが後で見とくわ。充実した旅だった。

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