2017年7月21日金曜日

〇7-16(日)石川県穴水町(旧諸橋村)「明泉寺(みょうせんじ)」重文石造五重塔

〇↓「白雉3年(652)に創始された明泉寺には、全国に類を見ない国指定重要文化財の石造五重塔など鎌倉・室町期の石造文化財を多く残しています。少し隔てた旧参道の「鎌倉屋敷」にも五輪塔・宝篋印塔が多く残り、往時の面影を偲ぶことができます。‥‥」

 ↓本堂
 ↓庫裏・書院
 ↓本堂から左に行くと観音堂。鐘楼がある
 ↓観音堂
 〇本堂境内の一段下の境内に《石造五重塔》重文がある




 ↓背後は本堂

 ↓五重塔一階の石造本尊。大日如来坐像
 ↓境内のあちこちに散在する石造供養塔。古い

 ↓建物は本堂

 ↓旧参道を登ってみる。登った先の右側木立の合間に石造五重塔が見える
 ↓旧参道を登りきると右側に石造五重塔。住職の話では、古くは石造五重塔は東西に二基立っていたそう。

 ↓旧参道を登りきった所に建つ古い石造供養塔
 ↓少し高みに立って石造五重塔を眺めてみる


〇この寺の五重塔は傑物。住職の話では、修復前に残っていたのは二重までで三重目以上は崩れてなかったそう。とは言っても残片は保存されていたろう。それがあればこそほぼ往時の姿に復元された。

2017年7月20日木曜日

〇7-9(日)長野県下伊那郡泰阜(やすおか)村「金野(きんの)諏訪神社」重文諏訪神社本殿・重文若宮神社本殿

〇飯田市の南、天竜渓の橋を渡りさらに南下していくと泰阜村に入る。金野の地名はカーナビになかったが、現地を走りながらボクが見当をつけてそして見事に辿り着いた。
↓金野諏訪神社にとうちゃこ。

 ↓「‥‥。旧金野村の産土神(うぶすながみ)として、安永年間から明治の初期頃まで、祭礼には必ず上演された操り人形劇とともに、信仰と地域の人々のよりどころとして崇拝されてきた。諏訪社本殿は一間社とし、若宮八幡宮本殿は二間社で左を八幡社、右を若桜社の二室に仕切る。ともに流造、板葺の小社で、覆い屋の左右に並び立つ。若宮八幡宮本殿には元亀4年(1573)の棟札が残り、本殿も形式手法が酷似しており、建物の様式からも同時期の建築と認められる。‥‥。保存状態も良く、室町時代に遡る同時期建立の神社が二棟揃って残り価値が高く、重要文化財に指定された。また、全体に風蝕が少なく、当初から覆い屋によって保存されていたものと考えられ、現覆い屋も重要文化財の附(つけたり)として指定された」

 ↑↓拝殿
  ↓拝殿から見た覆い屋の中の重文本殿二棟。左・諏訪社本殿、右・若宮社
 ↓金野諏訪社本殿・重文。一間社
 〇板葺屋根の粗末さに注目されたい。これでも由緒来歴が証明され・古い時代の様式手法が保存されていれば、重文たり得る。
 ↓若宮八幡宮本殿・重文。二間社。二柱の神が祀られているということ

 ↓宝物庫とその背後に(多分)神饌所
 〇以下「諏訪大社と諏訪神社・from八ヶ岳原人」より引用
↓左・諏訪神社本殿、右・若宮八幡宮
 ↓諏訪神社
 ↓若宮八幡宮
 ↓附(つけたり)重文・覆い屋

2017年7月19日水曜日

〇7-9(日)長野県飯田市「開善寺」重文山門


↓総門。開かずの門になっている

〇重文・山門


↓「開善寺は、鎌倉時代に伊賀良(いがら)庄の地頭であった幕府北条氏一族の江間(えま)氏によって創建された後,信濃守護となった小笠原貞宗が帰依して寺を整え、中國元より渡来した名僧清拙正澄を開山としました。‥‥。山門は現存する最古の建物で、室町時代後期の1549年(天文18)、京都妙心寺の僧‥が迎えられて伽藍が復興した頃の建造と考えられています。‥‥。当初の計画では二重門(二階建)であったと考えられますが、何らかの理由で二階部分は造られず、一階部分に銅板葺の切妻屋根を載せています」



↓山門の背後。杉苔の庭の奥に本堂が見える
↓本堂

↓本堂と式台
↓鐘楼
↓左・本堂、右・庫裏等
↓見事な藤棚