2017年4月24日月曜日

〇今週末にもう春の連休に入る。旅の計画が未だ立っていない。東に行くか、西に行くか、それすら決定していない。遺憾

〇江戸深川に芭蕉を記念する施設が四つある。
①芭蕉庵跡の芭蕉稲荷神社
②その近くの芭蕉庵展望施設庭園
③やや近くの芭蕉記念博物館
④奥の細道出発地点となった仮寓「採茶庵(さいとあん)
この内、④だけが未探訪。①~③は探訪済みだが遺憾なことに②③の写真が失われた。④は、芭蕉が小舟に乗って江戸川に出、千住を目指した文字通り奥の細道の振出しなのだから未発見未探訪では済まされない。こういう事情でボクとしては奥の細道の旅を首尾完成させるために江戸深川を起点にした旅をもう一度実施したいという心情があるのは事実。その他、旅の途中の随所にどうしても探訪しなければならない場所や事績が取り残されている。それらを補充してボクなりの奥の細道紀行の本を編集して完成させたいという願望がある。それで、江戸を起点とした旅に出る可能性が高い。

〇3-26(日)大津市「篠津(しのづ)神社」重文表門

篠津神社も旧市街地にある
 ↓「重文・篠津神社表門 この表門は、旧膳所城の北大手門として建てられたもので、明治3年(1870)の膳所城取り壊しの際に篠津神社に移され、翌々年に建て直されたものです。門は高麗門形式で屋根は本瓦葺となっており、旧膳所城主本多氏の立葵紋がみられます。扉は内開きで、竪格子、腰部横板張りとなっており、脇門を付けています。この高麗門という形式は、背面に特色があり、正面の主体部から両方に袖のように直角に屋根が出ているものをいい、この形式は城門に数多く用いられています。この門も桃山時代の城門の一つで‥‥」
 ↓重文・表門。参道から見る
 ↓内側境内から見る。高麗門の特色は、門の背面に両袖のように直角に屋根が出ているのだが、その特色がよく出ている。


 ↓拝殿
 ↓拝門
 ↓拝門・瑞垣、本殿
 ↓本殿と幣殿

2017年4月23日日曜日

〇4-23(日)午前中、京都府亀岡市・南丹市(園部町)の重文建造物を探訪して、正午前には帰路に。

道の駅「ガレリアかめおか」で早朝目覚め、07:30に探訪に出発。
〇先ず、亀岡市郊外の「愛宕神社」本殿・重文。ボクが到着した直後に、宮司(おじいさん)・禰宜(息子だろう)・おばあさんの三人が車で到着。三人で神饌の御供えなどに励む。本殿は立派な覆い屋でカバーされていて好い写真が撮れない。ちょっと残念。本能寺の変の前夜、光秀が御神籤をひきに行った愛宕神社はここでないのかと思っていたので、宮司さんにその旨尋ねると「違います」の一言。三間社・流造・檜皮葺。
〇次に、南丹市園部町に「普済寺(ふさいじ)」重文仏殿を探訪。谷筋を走ってきたらいきなり谷間に建つ仏殿に逢って感動。屋根の両端が反り上がった美しいシルエット。南北朝時代の禅宗様式を伝える。本堂などは石段を昇った岡の上にある。
〇その次に、南丹市園部町の「春日神社」重文本殿を探訪。修復を終えて程ないと思える本殿が朱塗りの美しさを煌めかせて、何の覆い屋も持たずに白日の下に建っていてここでも感動。一間社の小祠。流造・檜皮葺
〇更に、南丹市園部町の大河内という奥地に「大山祇(おおやまづみ)神社」重文本殿を探訪。ここの本殿も覆い屋に護られていたが、辛うじてその全貌は写真に収められたんじゃないか。一間社・流造・檜皮葺。この神社を訪ねる途中で、去年そこを訪れた「九品寺(くほんじ)」の重文楼門(朱塗)の前を通過した。摂津から丹波を通って若狭に抜けた道はこの道だったんだ。その時、左に行けば〇〇神社重文本殿の案内板が出ていたが、ボクは時間が無くて右折して若狭に急いだ。心残りが今日まであった。その雪辱を今日果たした。
〇最後に、亀岡市の「梅田神社」重文本殿の探訪。南丹市との境界を跨いだらそこにあった。在所は突きとめたが在り処が分らない。それほどの小社。畑をしている老農婦に訊いた。あの大きな木の見える所だと教えられて行ったら、在った。この本殿は朱塗でない。一間社・流造・檜皮葺。
〇帰還は11:30に南丹市の京都縦貫道(宮津まで行く)千代川ICから入り亀岡ICを通って最終は何と大阪府下の大山崎JCTまで南下して名神高速に接続する。ボクは京都南IC辺りで名神耕作に接続するもんだと思い込んでいた。高速で二回休息を取ったが及ばす、北陸自動車道・南条SAで睡魔に負けて昼寝をした。小一時間は眠ったろう。それでも七尾到着は午後5時45分。走行距離数815km。一日好天。

2017年4月22日土曜日

〇4-22(土)週末の天気が良いと云うので今週も旅に出た。亀岡市方面の重文建造物を探訪することに

朝9時半出発。午後1時半頃、湖西・高島市安曇川の「思古淵(しこぶち)神社」本殿・重文を探訪。この神社は安曇川沿岸を縄張りにする水に関係する神様を祀る。今も「志古淵(しこぶち)七社」と称される有力七神社が存在する。ところでこの神社の在り処がどうしても分らなかった。カーナビの案内画面を最大に拡大しても鳥居マークさえも表示されないという世に隠れた存在。在所の農家の玄関を開けて、農繁期であくせくしているオッサンに神社の在り処を訊く破目に。始め説明してくれていたが、いくら説明しても無駄だ、付いて来いと言われて軽トラに附いて行くと、とんでもなく細い道を縫った末にボクの独力では絶対発見できない隠された場所に案内してくれた。参道の入口さえ隠されている。そのオッサンが去り際に言うには、「この忙しいのに迷惑なこった。区長を叱っとかな。遠くから訪ねてくる人もあるような宮なら、案内板をちゃんと出せと」。この後、安曇川を遡り、朽木(くつき)谷に入って大原方面に南下してから西に山また山を越えて京都府花背の「峰定寺」(ぶじょうじ)と料理旅館「美山荘」(びざんそう)を訪ねた。ここを訪ねるのは三度目かな。山奥は肌寒く、未だ桜が咲いていた。峰定寺の入山は午後三時半までだが、到着した時は既にタイムオーバー。峰定寺の門前に在る美山荘は京都でトップクラスの料亭らしい。ここの若女将が素敵な人。ここを訪れる度に会える。今回も会えるかなと思っていたら、会えた。いつも美山荘をバックに写真を撮らせてもらうんだが、今回は遠慮した。何せ料理を捧げて運んでいる最中だったので。それでもボクの姿を認めて笑顔を浮かべ、唇を動かして何か言ってくれた。今日の彼女は正装の着物姿で綺麗に化粧もしそれは別嬪さんだった。彼女の写真を撮れなかったことに心残りはある。今回の美山荘の写真は画龍点睛を欠いている。花背から更に西に向かって山また山を越えて京北町の常照皇寺(じょうしょうこうじ)を訪ねた。ここの入山は午後四時までだが、到着時刻は四時半。京北町は幕末維新の時ここから「山国(やまぐに)勤皇隊」を突如降って湧いたように動乱の渦中に出現させ世間を驚かさせたもの。常照皇寺は皇室とのゆかりが深い。山国勤皇隊が結成される基盤には、常照皇寺の存在が関係しているとボクは見ている。
明日は亀岡市の重文建造物を探訪するので、今夜の泊りは「道の駅・ガレリアかめおか」にした。カーナビに案内させたら右京区の高雄に出てさらに仁和寺・妙心寺にまで下りて、それから国道9号線(山陰道)を目指すコースを取ったので途中京都市街地で渋滞に嵌る破目に。ボクは今日のコースの流れとしてあくまで京北町の山間を縫う道を走って亀岡市に入りたかった。とにかく6時40分に亀岡の道の駅に着いた。明日は亀岡市を中心に、時間があれば南丹市にも足を延ばして重文を探訪して帰る。
道の駅到着、午後7時半。走行距離370km

2017年4月21日金曜日

〇3-26(日)大津市「膳所神社」重文表門

〇膳所神社も市中にある。
↓鳥居の後ろに重文・表門が見える
 ↓重文・表門。「この表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入口に在った城門で、明治3年(1870)の膳所城取り壊しの際に移築されました。門は、棟筋と扉筋とが同一の垂直面にない薬医門で城門として多く用いられています。屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵紋がみられ、桃山時代の建築として貴重なものです。脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで、城門としての貫録を持っています」

 ↓内側から見る

 ↓神饌所か。左端の門は通用門
 ↓拝殿前から表門を見る
 ↓拝殿

 ↓拝門・瑞垣、本殿

 ↓拝門に随神像がいるのは珍しい。
 ↓本殿 


〇3-26(日)大津市「大津別院」重文本堂・重文書院

〇大津別院は、浄土真宗大谷派の別院。市中にある。
 ↓重文・本堂。「大津別院は慶長5年(1600)に教如上人が敷地を拝領し、翌6年に内陣が出来たと伝えられていますが、現在の本堂は慶安2年(1649)に建立されたものです。本堂は、桁行9間・梁間10間、入母屋造で1間の向拝を付けた本瓦葺の大型仏堂です。内部は内陣に比べて外陣が広い真宗特有の平面で、欄間や蛙股の彫刻に宗派や時代の特色が見られます」

  

〇 重文書院が見当たらない。
↓見渡したところこの建物しか見当たらない。が、これはどう見ても庫裡だろう。とても重文の趣がない。
 ↓本堂に向って左側の隙間から本堂の後ろに回って見る。この建物があったが、書院だと言えば言えなくもないが、はたして重文なのか。
 ↓庫裏に向って右側の隙間から庫裏の後ろ・本堂の後方に回って見る。これは先ほどの書院かも知れない建物の反対側を見たもの。重文の説明板によると、書院は本堂の背面にあり、本堂より21年後の寛文10年(1670)に建築された入母屋造・本瓦葺の建物で、コ字型の平面で‥‥とある。本堂の背面にある点は合っているが、コ字型ではない。どうやらこの建物は重文書院に相応しくない。しかし外に該当の建物は見当たらない。不思議。

2017年4月20日木曜日

〇3-26(日)大津市「和田神社」重文本殿

〇和田神社は市街地の真ん中にある。

 ↓拝殿
 ↓拝門・瑞垣、重文本殿

 ↓重文・本殿。鎌倉時代の様式をよく伝えているそう。神主が祝詞をあげて御祓いをしている。

 ↓大イチョウ。大津市指定天然記念物。樹齢約600年だそう。

〇3-26(日)大津市大石富川「春日神社」重文本殿

〇日曜日朝、最初の探訪地は大津市といっても山奥の大石富川という村に在る。東京都で云えば奥多摩の山村。
↓村の外れの谷間に本殿を発見した時は、その神々しい姿に感動。一級の重文だと感じた。
 ↓鳥居と拝殿
 ↓左端・拝殿の軒先、中央・拝門と瑞垣、奥・本殿
  ↓拝門から本殿を覗く
 ↓中央・重文本殿。文保3年(1319)鎌倉時代後期建立
 ↓拝門と本殿
 ↓重文・本殿
 ↓本殿の蛙股。装飾性の高さが評価されているそう。
〇二間社・入母屋造・檜皮葺


 ↓宝物館