2016年9月12日月曜日

〇《奥の細道紀行》9-11(日)新潟県弥彦~寺泊。曾良随行日記のこの間のメモの地名を探索、成功、成果あり。

《曾良随行日記》『○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為拝。峠 より右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。』この弥彦~寺泊間の旅程が、第一次奥の細道紀行の折は全く見当がつかなかった。この間の無知が最近まで続いていたが、弘智法印像をNet検索してから俄然知識が豊富になった。それで今回急遽(入院前日に)新潟県燕市弥彦村まで遠征することになった。成果は隆々。
〇先ずは昔の国上(くがみ)村に着いてしまった。海岸線を行かず、越後平野ど真ん中の北陸自動車道・中之島見付ICから弥彦村に迫ったため。
↓道の駅・国上


 ↓真ん中やや右上に道の駅がある。左側に川が有り日本海に注いでいるのは本物の川ではない。信濃川の分水で大河津分水(放水路)という。この分水に架かる橋で先ず河口に架かるのが野積橋、やや上流に架かるのが渡部(わたべ)橋。いずれの地名も、曾良随行日記に登場する。
 ↓この地図で、弘智法印像のある西正寺を見分。そこへ像を拝する為芭蕉が越えたというのは、今は弥彦山スカイラインになっている道の途中の猿ヶ馬場だと確信。
↓スカイラインを登って行くと途中で左折する案内板が出現。
野積という浜に出て、という記述に合致。
↓傍に立っている案内板。「日本最古の即身仏」とは弘智法印像に違いない。
↓峠からは道は下りになる。かなり下ってから案内板が見えた。
右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有。というのと合致。半道は半里だから「右折500m」というのはちと短すぎるが、昔の徒歩道と今の新規の車道は多少ルート・距離が違っても仕方あるまい。西正寺と 弘智法印像については稿を改める。
二三町(200~300m)行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ。最正寺はなかったが西正寺(さいしょうじ)はあった。西正寺から峠の下り道に戻ると日本海が見え、野積の浜に出た。
↓佐渡島の西部がこんなに近く見えた。
↓野積の浜を寺泊の方へ行くと、今は信濃川の分水が流れて土地を東西に分断している。分水は谷地に掘られたに違いないが、昔はその谷間道を上流に行くと一里ばかりで国上の村に出た。今も国上地区はそのまま存在する。
↓河口に架かる橋の名は『野積橋」
野積(昔この辺りの野積は荒井と言ったらしい)から上流を見る。左が国上地区、右が渡部地区。
↓橋が架かっている


↑↓渡ると渡部地区
↓渡ると、






↑↓橋の下を流れるのは川ではなく、分水路
↓渡部地区


〇渡部地区から日本海に向けて北上すると確かに一里ほどで寺泊地区に入る。





0 件のコメント:

コメントを投稿