2016年5月9日月曜日

〇4/30(土)有岡城・惣構えの北端城砦の跡に建つ「猪名野神社」

〇有岡城見学のため駐車場に入った。そこを出ようとしたら係の爺さんが教えてくれた。北東に歩いて行くと「猪名野神社」がある、遠くない。その神社は有岡城の北端にあたる城砦跡にある。土塁跡も残っている。ボクはセレナを預けたまま歩き出した。
↓図の左上端の緑の部分が「猪名野神社」。右側真ん中・駅の左横の緑部分が、今訪ねたばかりの有岡城主城郭部分。図のほぼ中央が伊丹一丁目。
 ↓猪名野神社に着いた。







 ↑猪名野神社の中に説明板があった。
「国指定史跡・有岡城・岸の砦跡 
有岡城は、伊丹台地の東縁の高台を巧みに利用した平城である。侍町・城下町の周囲を土塁と堀で囲み、町ぐるみを城砦化した惣構(そうがまえ)構造で、南北1700m、東西800mの範囲に及んでいる。要所には、岸の砦・上臈(じょうろう)塚砦・鵯(ひよどり)塚砦が築かれていた。砦のうち有岡城惣構の北端に設けられたのが、岸の砦である。位置的に見て猪名野神社境内にその場所が指定されている。境内には土塁跡・堀跡が残されており、往時を偲ぶことができる。天正七年(1579)、織田信長の有岡城攻めの時、荒木村重の重臣渡辺勘太夫が守っていた。」
  ↑説明板の図を拡大。この図の範囲が、惣構えの有岡城の内になる。右端中央の黒い部分が見分したばかりの有岡城主郭部分。
↓北端の「岸の砦跡」を拡大。砦跡がほぼ神社境内になっている。
 ↓猪名野神社の本殿の周りに残っている土塁跡


 ↓土塁の向こうが崖ているが、河岸段丘を利用して堀になっていた。


〇有岡城がどこにあって、どの様な規模・構造で、どれ程の防御機能を有していたものか、想像力が湧いた。好かった。

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