2016年5月26日木曜日

5/3(火)瀬戸内市邑久町「竹久夢二・生家」、晩年のアトリエ

〇午前8時半、静円寺から竹久夢二生家に到着。探訪するつもりはなかったが、ガソリンスタンドを探し当てたらその向かいが夢二の生家だった。
↓「竹久夢二 ここに生る」
 ↓「夢二の生家 竹久夢二は、明治17年(1884)、この家に生まれた。稼業は酒の取次販売の傍ら農業もしていた。夢二は、‥‥明治32(1899)年、16歳で神戸中学校に入学した。しかし、稼業不振などの事情により僅か八カ月で同行を中退し帰郷、同年、家族と共に福岡県遠賀郡八幡村枝光に転居した。‥‥夢二一家が九州へ転居した後は人手に渡っていたが、修復整備の後昭和45(1970)年、夢二郷土美術館として一般に公開した。」
 ↓夢二生家。山裾にある


 ↓「泣く時はよき母ありき 遊ぶ時はよき姉ありき 七つのころよ」
 ↓「少年山荘(山帰来荘) 竹久夢二は、漂泊の詩画人ともいわれ転々と居を移していたが、大正13(1924)年、当時の東京府下松沢村松原(現・世田谷区松原)に自ら設計したアトリエ付住宅を建て「少年山荘」又の名を「山帰来荘」と名付けて、晩年このアトリエで創作に勤しんでいた。少年山荘は、昭和9(1934)年、夢二が亡くなった後、荒廃し取壊されていたが、次男不二彦氏らの考証、記憶をたどってここに復元されたのがこの建物です。‥‥」
↓少年山荘


〇開館は九時。それまでにまだ15分あった。その時間が惜しくてボクは参観せずにここを後にした。夢二に心酔していれば選択は違ったろうが。

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