2016年5月18日水曜日

〇小野市「浄土寺」 国宝・浄土堂(阿弥陀堂)に国宝・阿弥陀三尊立像・快慶作が安置される。この世の浄土を現出する

〇小野市の「浄土寺」を再訪。最初に探訪した時に受けた感動は筆舌に尽くし難い。この世に浄土があることを知った。寺を去る時ボクは思った。きっと再たここに来るだろう。そしてその思いを今日果たした。引き寄せられるように再訪した。死ぬまでにもう一度、多分ボクはここを訪れる。
↓拝観入口から入った光景。左に国宝・阿弥陀堂、正面奥に鐘楼堂
↓阿弥陀堂・浄土堂







↓「浄土堂・国宝 浄土寺は、俊乗房重源上人により、東大寺領大部之荘(小野市中心部で加古川東岸一帯)内に建てられた。このお堂は、重源上人が入宋して学んだ「天竺様」(「大仏様」とも言われる)という建築技法を用い、建久5年(1194)に上棟された。‥‥東大寺南大門とともに「天竺様」を伝える貴重な建物で、お堂としては、わが国唯一のものである。」
↑「阿弥陀如来及び両脇侍立像・国宝 三尊とも名仏師・快慶の作である。浄土堂の本尊で、観音・勢至菩薩を両脇侍として立つ丈六の巨大木像である。好天の日には、堂背の蔀戸(しとみど)から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊のお姿を拝することができる。」
↓堂内は、内陣・外陣の区別がない。拝観者は四周を自由に廻れる。三尊の背後が西方にあたる。丁度西方から駆けつけて来られたように配置されている。

↑↓天竺(大仏)様の天井。
↓観音菩薩像は右足をやや前に踏み出して救護に赴かんとする体勢にある。
〇お堂の中で、この阿弥陀三尊像の前に坐って小一時間動かない人がいる(感動の余り。ボクもその一人だが)。どれだけ混んでもお堂の中は広いので(それに内陣・外陣の区別もないので)誰に遠慮もなく思う存分ゆっくりできる。これだけゆったりと鑑賞し堪能できる寺院は滅多にない。素晴らしい。
↓鐘楼・重文
↓郷社・八幡神社 境内の中央正面に位置する


↓八幡神社拝殿・重文



「八幡神社拝殿・重文 浄土寺縁起によれば、八幡神社は嘉禎元年(1235)に建てられており、現在の拝殿はその遺構と思われる。幾多の改変ののち‥‥室町時代に多い和・唐・天竺様の折衷形式の原形ともいえる。」
「八幡神社本殿・重文 八幡神社は、浄土寺伽藍の中央正面に位置している。これは、重源が八幡信仰を重視したためと考えられる。本殿は、室町時代中期の代表的な檜皮葺・三間社流造である。」
↓八幡神社本殿・重文




↓不動堂
↓薬師堂・重文


↑「薬師堂・重文 建久8年(1197)に上棟されたと伝えられているが、明応7年(1498)に焼失し、永正14年(1517)に再建されている。随所に天竺様が用いられているものの、ところどころに和様・唐様がみられ、和・唐・天竺様の折衷形式と云える。近世においては、主格的建築として扱われ本堂と呼ばれていた。浄土寺縁起によれば、荒廃したままとなっていた廣渡寺の本尊であった薬師如来坐像を薬師堂に移し本尊として安置したと記されており‥」
↓薬師堂




↓開山堂・兵庫県文化財
〇浄土寺の開基である重源上人の坐像を安置するお堂。13世紀に建てられた建物は1498年に薬師堂とともに焼失したが、1520年に上棟されたのが今の堂。
↓重源上人坐像。東大寺重源堂安置の坐像とよく似ている。
↓開山堂。左端に薬師堂が見える


↓経蔵



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