2016年4月24日日曜日

〇4/2(土)京の西山、西行が出家し剃髪したと伝わる「勝持寺」。「花の寺」、西行桜・西行像等がある

〇京都西山「勝持寺」は西行との縁が殊の外深い。最初の訪問では西行との関係を理解せずに登った。今回は西行との縁を意識して訪れた。前回は一番下の登り口から登って仁王門を潜ってこの山門まで来たが、今回はその登坂の困難を回避した。↓この高さの所に駐車場があることを知ってしまった。

 ↓本堂

↓本堂の隣に瑠璃光殿(宝物殿)がある

 〇この寺の仏像は鑑賞に耐える。
↓西行像。室町期の作という。西行がこの寺に庵を結んだ時は二十代前半だから、像はちょっと老成している。
↓薬師三尊像・重文

 ↓重文・薬師如来坐像
 ↓本尊胎内仏・重文薬師如来坐像
 ↓重文・十二神将立像

 ↓重文・金剛力士立像

↓不動堂

 ↓西行桜。右側の木。勿論何代目かの若木。

 ↑「花の寺と西行桜 平安の末期、鳥羽院の北面の武士であった佐藤兵衛義清(のりきよ)が、この寺に入って出家し西行法師となる。その折の鏡石と姿見池が残されている。武勇で知られた西行がなぜ出家したのか原因はさだかでないが、石に向いながら髪をおろしたそのその気持ちは如何であったのだろう。西行はここに草庵を結び一株の桜を植えて吟愛していた。世人はその桜を「西行桜」と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになり、古来から有名な花の名所として知られるようになった。‥‥。謡曲「西行桜」は、この隠栖している西行法師と、庵室の庭に咲いている桜をからませて、春宵の閑寂な情趣をえがいたもので、当寺が舞台になっている。謡曲史跡保存会」
〇西行庵があるか訊いたら受付に居た僧侶が「昔山中に庵があったが今はない」と答えた。


    ↓西行桜(当代)の花


↓鏡石
 ↓「鏡石 西行法師がこの寺で出家した時(1140年)、この石を鏡の代わりに使い、頭を剃ったと伝わっている。

石の左上の青光りする部分が、鏡状と言えば言える。
↓これが姿見池か。奥に立つ白い石が鏡石

↓冴野(さえの)の沼・歌枕

 「小塩(おしお)山松風寒し大原や 冴野の沼のさえまさるらん」←典拠は知らない
寺の裾の野が大原野。「大原野神社」がある。
↓前回(2014年)仁王門を潜って登った時の写真を添付する
 ↓仁王門


 ↓延々と石段登りが続き、ようよう山門が見えてくる。
西行が出家した時齢は23。その後数年間は京を離れ難いかのように西山・嵯峨野、東山、鞍馬山等を転々として庵を結んだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿