2015年11月11日水曜日

〇《奥の細道紀行》8/14(金)岩手県一関市「カッパ崖」

〇芭蕉と曾良が平泉を目指して陸中・一関宿に近づいたら土砂降りとなり雨脚は合羽も通すほどだった。曾良・随行日記にそう記してある。その土砂降りのとき通っていた山坂を人は「カッパ崖」と呼ぶ。因みに芭蕉は雨が降り出したので馬に乗っていたらしい。曾良は分らないが、彼も多分馬。この日は一日雨。
↓カッパ崖。この坂を二人は下って来た。

 ↓「俳聖芭蕉紀行の道」
 「元禄二年五月十二日紀行(一七八九年)」
 ↓カッパ崖案内板がある。近づく。

 ↓「ここは松尾芭蕉のおくのほそ道」「‥‥。二人は‥‥出発から45日後、平泉視察の宿泊地となる一関に入る。この解説板の前を通り、大雨の中、地主町の宿に向かった。一関は芭蕉最北の宿として2泊した町であり、研究家にとっては“二夜庵”のある町として広く知られている。曾良日記と研究資料によって一関入りの状況を描いてみると、512日、登米を立っておよそ10kmから雨が降り出し、花泉町涌津で強雨となったので馬に乗る。金沢~‥‥~カッパ崖(この辺一帯の俗称)~吸川~大町と進むが、ほとんど山と坂ばかりであり、雨の強さも、合羽モトオル也の大雨であった。‥‥」
 去る。

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