2015年10月25日日曜日

〇10/22(木)増上寺・徳川家墓所。付録・今は無き旧御霊屋。

水色部分が現在の増上寺境内。↓「現在地」と記入された小区画が現在の徳川家霊廟。その小ささに驚かされる。かつての霊廟の姿はこの稿の後段で示す。
↓「徳川将軍家墓所公開」


 ↓この穴から入る。

 ↓皇女・和宮廟
 ↓14代・家茂公廟
 ↓6代・家宣公廟。この家宣公のかつての御霊屋の豪壮華麗な有様を後で写真で示す。
 ↓2代・秀忠公とお江の方の合同廟。秀忠公とお江の方は、かつて南御霊屋に祀られていた。後で示すが、そこは広大で豪壮華麗だった。今は影もない。わずかに惣門を残すのみ。奥の院(宝塔)・拝殿の跡にプリンスホテルが建っている。
 ↓7代・家継公廟
 ↓9代・家重公廟
 ↓12代・家慶公廟
 ↓合祀塔
 ↓増上寺に向かって左に、かつて「南御霊屋」があった。ここには2代将軍秀忠公とお江の方の御霊が祀られていた。ピンク色部分に今はプリンスホテルが建っている。そこはかつての台徳院(秀忠公)廟の奥ノ院・宝塔とその拝殿にあたる。左下に今は東照宮があるが、そこはかつて旧安国院殿(家康公廟所)だった。
 ↓惣門。南御霊屋で残っている唯一の建物。重文。




 ↓台徳院・秀忠公霊廟本殿内部
 ↓お江の方霊牌所内部
↓東照宮・旧安国院

 ↓左・東京タワー、右・増上寺
 ↓増上寺に向かって右側にあった北御霊屋。今残っているのは御成門とニ天門のみ。ピンク色部分にはプリンスホテルが建っている。
 ↓6代・家宣公霊廟。唐門側面
 同・拝殿内部
 同相之間内部
 ↓7代・家継公霊廟。勅額門
  ↓北御霊屋・御成門。修復の手が入らず倒壊の危機にある。近くに御成門中学があった。
 ↓ニ天門は修復工事中。天部の像が二体左右に立っているだろう。
〇増上寺の変遷を実感して思い出した。かつて増上寺にあった三つの門(いずれも重文)が所沢市の不動寺に移築されて存在していたことを。「狭山不動尊」の方をリンクすると、1960年まで増上寺にあった重文の門三基にお目にかかれます。
リンク先→http://takashikun.blogspot.jp/2013/09/blog-post_2634.html
所沢市「狭山不動尊」リンク先→http://takashikun.blogspot.jp/2013/10/blog-post_8.html

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