2015年10月11日日曜日

10/11(日) 雨模様の一日。だが、信濃の国で流浪の旅は続く。

10/11() 雨の中、08:30、道の駅「上田・道と川の駅」を出発。
最初の目標は、小諸市の山中の「釈尊寺・布引観音」。観音堂の中の宮殿が重文。大寺院を想定していたので登り口を通り越して山道を辿るほどに心細くなり(実際山道が細くなった)、引き返して注意を払いながら探すと登り口があった。有名寺院のそれではない。登りは一見してきつそう。それでセレナに積みっ放しの紀州の奥山・玉置(たまき)神社で買った八角棒の杖を持ち出した。大峰山修験道の行者が突く杖。布引渓谷は急峻だったが、この杖の御蔭で疲れが手に分散されて脚が助かった。結構。岩場を突いて渓谷を登ると意外や意外、瀟洒な庫裏と本堂が谷の上に堂々と建っていた。山門まである。特筆すべきは懸崖造りの朱塗りの観音堂。ここに布引観音が祀られている。その宮殿が重文なのだが、暗くて好く見えなかった。
次に探訪したのが、佐久市の「八幡神社」。摂社の「高良(こうら)神社」の本殿が重文。カーナビの不調法で案内された土地には見渡す限り神社がなかった。ボクはカーナビ画面の地図で八幡神社を見つけて行ってみると、果たしてそこが目当ての八幡神社。郷社。それが小規模ながら洗練された立派な神社であったのは意外。高良神社本殿は見事な建築物だった。納得。
三番目が佐久市の田舎の「福王寺」。ここは阿弥陀如来坐像が重文。寺の発見はスムーズ。境内を拝観して回り、阿弥陀如来坐像が安置されている収蔵庫もチェック。しかし拝観の案内表示は全く出ていない。これは秘仏扱いなのかもしれないと思い帰ろうとしたら、農婦の姿をして農作業から帰ってきたような感じの年配の女性が目の前を横切った。そして寺の住宅らしき家の前で作業に取り掛かった。ボクは福王寺の人だと直感したので尋ねた。「阿弥陀さんは拝観できるんですか?」。意外な言葉が返ってきた。「できますよ」。「拝観料、志納金の案内がないんですが、幾らぐらい志納すればいいですか」。「要りませんよ」。意外な返事の連続。収蔵庫の前で待っていることにしてその場を後にした。収蔵庫に現れたのは住職さんだった。先ほどの女性は妹さん。住職も拝観料は要らないと言ったが、収蔵庫に賽銭箱があったので志納金として500円玉を入れた。堂々たる阿弥陀如来が坐っていた。鎌倉時代初期の作だそう。顔の表情が柔くない。両脇の観音像も坐っていた。観音菩薩と勢至菩薩だろうが、それが坐像と云うのは見たことがない。こちらは江戸時代の作。住職は横の古ぼけた阿弥陀堂も開けてくれた。そこには平安時代作かと思われる古くて保管状態の悪い残念な仏像が四体立っていた。住職は親切で欲がなかった。有り難かった。
最後は高遠の「遠照寺(おんじょうじ)」。釈迦堂とその中の小多宝塔が重文。佐久・福王寺からは女神湖・白樺湖を通り、茅野に出てから杖突峠を越えて来る。高遠の街から大分手前の山中。釈迦堂は独りで拝観できたが、その中の小多宝塔は庫裏で案内を乞わねば見れない。ので、見ずじまいで引き揚げた。遠照寺の目玉の一つは七面堂なんだが(七面天女尊像を祀る)、こちらは急且つ長い石段を昇らねばならないので止めた。従姉の七重ちゃんによると、ボクには石段を見れば登る悪い癖があるそう(心臓の悪いのも忘れて)。今日は叱責を免れるか(布引観音堂に登ったからダメか)。
今日積み残した探訪予定重文。
★熱田神社 伊那市長谷溝口 
 本殿の装飾に見るべきものがあるそう。
★金野諏訪社 下伊那郡泰阜(やすおか)村 
 小さな本殿は素朴な造りだが古式を伝えに伝える。
今夜は七尾まで飛ばして明日一日家でゆっくりしようかと思ったが、結局梓川渓谷の入口の道の駅「風穴の里」で野宿している。明朝晴れていれば、バスに乗り換えて上高地に入り紅葉の具合を鑑賞するか、新穂高ロープウェイで西穂高の絶景地点に登るかを含みにしている。

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