2015年10月10日土曜日

〇10/10(土)久し振りに流浪の旅に出た。

久し振りに旅に出た。出発 10:30。きっかけは女房の一言。「連休やけど出掛けんが」「そうか、出掛けるとすっか」 はじめ関西・中国方面が念頭にあった。家を出る時は上越・信州千曲方面に決まっていた。後者には明確な目標があった。上越高田に寄って「光栄寺」を探す。光栄寺は《奥の細道紀行》村上編で登場した。芭蕉と曾良が参拝した村上藩主の菩提寺。藩主の藩替えと共にその後転々し最後は上越高田に落ち着いたという。それを探す仕事が残っていた。それから、信州の国宝・重文探訪の旅はあらかた終わって後残すは僅か。それが、千曲市の戸倉上山田温泉に二件残っている。近々探訪しようと心に期していた。「知識寺」の大御堂(本堂)と十一面観音像。それと「水上布奈山(みずかみふなやま)神社」の本殿。いずれも重文。
昼下がり、上越高田の寺町に到着。浄土真宗本山・浄興寺の重文・本堂と親鸞聖人の御本廟を再探訪し、近くで「光栄寺」を発見。寂れていた。墓地を見分したが、藩侯の墓らしきものは全然ない。芭蕉に結びつきそうな遺跡も全くない。しかしこの光栄寺こそ、芭蕉が村上を訪れたときそこに在った光栄寺に違いない。
戸倉上山田温泉に着いたのは16:00近く。知識寺では大御堂(本堂)のみの探訪となった。十一面観音立像は3mもある大物だそうだが、拝観しようにも住職が居なかった。「本日は法事のため不在です」との標識がぶら下がっていた。水上布奈山神社では好運に恵まれた。もう17:00に近く夕闇がやんわりと降りてきて、神社を閉鎖し戸締りをする係の老人が来ていて拝殿・本殿を囲う塀垣の出入口を閉めていた。それがボクと目が合うと、参拝しますかと目で問うたので、お願いしますと目で答えた。すると老人はまた戸を開けて塀垣の中に入れてくれた。そして拝殿の戸を開け、さらに拝殿の後ろの本殿まで案内してくれた。本殿は覆い屋に三方を囲まれ、前面には鳥除けの網が張られていたが、老人は撮影に協力してその網を外してくれた。何とも親切な御老人に巡り逢えたもの。そうそう夕闇が下りる前にもう一仕事した。水上布奈山神社の手前でちらりと神社名を瞥見した「佐良志奈神社」にも参拝した。「さらしな」神社だと読んだ。この神社名が更級郡の語源と云う説がある。千曲市の前身の更埴市は「更級郡」の一部と「埴科(はにしな)郡」の一部の合体市だった。それが、更級郡戸倉町と埴科郡上山田町を吸収して千曲市になった。
今日の首尾は好かったと言える。夕闇が下りる中、今夜の野宿地「道の駅・道と川の駅」(上田市)にセレナを乗り付けた。同宿の車が多い。無慮二十数台。朝になったらもっと増えている。

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