2015年10月7日水曜日

〇《奥の細道紀行》8/12(水) 山形県新庄市「柳の清水・芭蕉句碑」

〇「柳の清水」のことは、芭蕉《奥の細道》にも曾良《随行日記》にもどこにも表れていない。が、芭蕉が風流・渋谷甚平衛を訪ね挨拶代わりに詠んだ句が
《水のおく氷室尋ねる柳かな》
だったとされ、芭蕉はここ・柳の清水に立ち寄って旅の渇きを癒したはずだとされている。
↓「奥の細道・氷室の句碑と柳の清水」の案内標識が立っている。

 ↑「芭蕉翁ゆかりの氷室の清水跡  ‥‥尾花沢、大石田と泊りを重ねた。それから舟形まで馬で送られ、あとは徒歩で羽州街道を北進し、鳥越一里塚を過ぎて右に折れ、左に曲がる角に地蔵堂が建っている。近くに柳の大木が茂って蔭を作り、側にはこんこんと清水が湧き出ている。処の人たちは「柳の清水」と呼んでいた。この日は六月一日(七月十七日)の昼ごろであった。訪ねる風流亭(渋谷甚兵衛宅)は間近と聞いていても、この涼しげな柳と清冽な清水を見て、芭蕉と曾良も小憩をとって一掬咽喉をうるおし、汗も沈めたことであろう。
『水の奥氷室尋ねる柳かな』
これが風流亭での芭蕉の挨拶の句であった。氷室は甚兵衛を指している。二人は風流亭に二泊して六月三日最上川の河港本合海から乗船し、庄内に下られたのである。」
↓「延命地蔵尊堂」 柳の清水の向かいにある。
↓「柳の清水及び句碑」


 ↓句碑
 《水のおく氷室尋ねる柳かな》


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