2015年7月9日木曜日

〇《奥の細道》紀行・越後路(11) 旅宿第14夜・能生。「能生白山神社」

曾良随行日記》より、
〇十一日 快晴。暑甚だシ。巳ノ上剋(みのじょうこく・午前九時半過ぎ)、高田ヲ立つ。五智・居多ヲ拝す。名立(なだち)ハ状不ㇾ届。直ニ能生ヘ通り、暮テ着く。玉や(屋)五良(郎)兵衛方に宿。月晴。
↓〇「能生白山神社」


拝殿
拝殿と本殿の間
本殿・重文

↓社務所。向かって左前に芭蕉の「汐路の名鐘」碑がある。

「越後能生社汐路の名鐘」碑
↑↓「越後能生社汐路の名鐘
むかしより能生社にふしぎの名鐘有。これを汐路の鐘といへり。いつの代より出来たる事をしらず。鐘の銘ありしかど幾代の汐風に吹くされて見えざりしと常陸坊の追銘とかや。此鐘汐の満来らんとて人さはらずして響こと一里四面。さる故に此浦は海士の児までも自然と汐の満干を知り侍りしに昭應の頃焼亡せり。されどもその残詞をもつて今の鐘、能登国中居浦鋳物師某鋳返しけるとぞ。猶鐘につきたる古歌などありしといへども誰ありてこれを知る人なし。 芭蕉
曙や霧にうつ満(ま)くかねの声 」
↑芭蕉の文章とはとても思えない。

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