2015年3月25日水曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(31) 越前吉崎「汐越(しおこし)の松」

〇奥の細道《越前の境、吉崎の入江を舟に棹(さをさ)して、汐越の松を尋ぬ。》 芭蕉と北枝は吉崎で舟に乗って海側から汐越の松を目指した。
↓ 吉崎の入江。丸島の向こうが日本海。蓮如が浄土真宗布教の橋頭保とした吉崎御坊はこの地にある。
↓ 橋の上から反対側を見ている。奥に往けば北潟。
↓ 北潟方面(西)にしばらく行くと道は南に直角に折れ曲がる。南に行くと北潟、直進すると芦原ゴルフクラブ。
「おくのほそ道・汐越の松碑 ここから左へ九OOメートル先芦原ゴルフクラブの前庭」。この碑の前に公民館がありそこで催し物をしていた。参加者に汐越の松の所在地を訊いたら「ゴルフ場の中だよ。入れてくれないんじゃないか。まぁ行って頼んでみたら」だと。
↓ 芦原ゴルフクラブに着いた。受付嬢に「汐越の松」を訪ねてきたんですが、と話すと、「あっ」と言って奥に行き帳面を抱えてきた。「ここにサインをして下さい」。そして行き方を教えてくれたが、それがゴルフ場の中を通って日本海に出るという。
とにかく挑戦。指示説明を取り違えていたと見えてとんでもない所に着いた。プレーヤーに訊いたら方向違いの遠方を指示された。
やっと受付嬢の言っていた日本海の見えるところに出た。
↓ 着いたッヽ(^。^)ノ
松はとっくに枯れてない。
  ↓ すっかり風化しているが、これはひょっとして芭蕉像?
↓ これはどうも汐越の松の遺骸らしい。二代目あたりの。
終宵(よもすがら)嵐に波をはこばせて
月をたれたる汐越の松 西行
此の一首にて数景(すけい)尽きたり。もし、一辨(いちべん)を加(くはふ)るものは、無用の指を立つるがごとし。》
〇この歌は、蓮如上人が吉崎で詠んだもので、西行作は芭蕉の誤聞だと注釈にある。

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