2015年2月3日火曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(13) 金沢最後の探訪地「松玄庵」

〇曾良随行日記によると、
「廿日 快晴。にて一泉饗す。俳、一折有りて、夕方、野畑に遊ぶ。帰りて、夜食出て散ず。子の刻に成る。」 
庵とは「松玄庵」、一泉とは斎藤一泉だそう。この庵で、
残暑暫し手毎にれうれ瓜茄子 芭蕉》
を発句とする一泉以下一座の半歌仙を興行した。この発句はのちに
秋涼し手毎にむけや瓜茄子
と推敲されて《奥の細道》に収載されたそう。
金沢での最後の探訪地としてこの「松玄庵」を訪ねた。犀川桜橋の南詰から約百メートル行った処の・山側の段上・不動明王の前辺りにあったそう。
↓桜橋南詰。右・石伐坂、左・桜坂。
 ↓先ず右の石伐坂を登ってみる。意外なことにこの坂は井上靖の自伝小説「北の海」に出てくる「W坂」のことだった。四高柔道部で寝技の練習に明け暮れて下宿に帰るとき、この坂で腹が減って登るのが大変だったそう。


 登り切ったが、不動明王が居そうもないので引き返した。
 ↓今度は左の桜坂を登る。
 坂の上は平凡な住宅地で不動明王が居そうもない。仕方なく一周して旧道そうな坂道を下りてきた。
 ↓桜坂の上はこんな具合。不動明王はもう居ないんじゃないか、これがボクの出した結論。
〇あと、金石・宮ノ越の探訪が残されている。

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