2015年2月20日金曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(23) 山中温泉・大木戸門跡

曾良随行日記の記述
《28日 快晴。夕方、薬師堂其の外町辺を見る。‥》 
芭蕉一行は薬師堂(医王寺)を訪ねた後、町の中を歩いた。
↓大木戸門跡。ここはきっと訪ねたろう。菊乃湯、泉屋から遠くない。

 ↓「山中温泉大木戸門址」石碑
 ↓芭蕉句碑 《漁り火に河鹿や波の下むせひ 芭蕉》
 ↓芭蕉句碑 《や万なかや菊はたおらじゆのにほひ はせを》
 ↓芭蕉句碑
 《今日よりや書付消さん笠の露
 曾良とはここ山中温泉で別れた。曾良が先に旅立った。曾良が独り旅立ったとき芭蕉が詠んだのがこの句。当時旅に出るとき笠の裏に「同行二人」と書き付けて旅をした。四国お遍路では襷に書いてそれを掛けて歩く。旅は独りでしているのではない、常に弘法大師空海が一緒に旅をして下さっているという気持を表している。芭蕉は「同行二人」に曾良と一緒の意を込めてこの句を詠んだのだろう。曾良と別れることになった、笠の裏に書付た「同行二人」の書付を今日からは消そうという意味だろう。別れることになった理由は、芭蕉が書き残したように曾良の腹痛ではないように思う。腹痛を起こした者が先に旅立つというのは変。安静の為留まるのが普通だろう。曾良・隠密説が発生するのも分からぬでもない。が、ボクは芭蕉の句意から何か感情的な理由を嗅ぎ取る。北枝の存在が関わるかも知れない。北枝は金沢から越前松岡・天龍寺まで同行する。

1 件のコメント:

  1. どの風景もとってもきれいで感心しています。ただ、私は芭蕉も俳句も全くオンチなので、詩の意味を考えてしまうと、固まって!感想がなくなってしまうという現象が起こっています。頭の老朽化!!が進んでいるのが悲しい(;_;)

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