2014年9月11日木曜日

〇「奥の細道紀行」(24) 「黒羽の館代・浄法寺何がしの方」

黒羽の館代(かんだい)浄法寺何がし(浄法寺桃雪のこと)の方に音信(おとづ)る。思ひかけぬあるじの悦び、日夜語(り)つゞけて、其(の)弟桃翠(とうすい・翠桃の誤記)など云(ふ)が、朝夕勤(つとめ)とぶらひ、自(みずから)の家にも伴(な)ひて、親属の方にもまねかれ、日をふ(経)るまゝに、日とひ(一日・ひとひ)郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ‥‥
↓黒羽城跡。

浄法寺邸は、黒羽城の三の丸にあった。



 庭園

 ↑「俳聖松尾芭蕉と黒羽 1689年に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、門人の曾良とともに「奥の細道」行脚の途中黒羽の地を訪れ、旅程中最も長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ね、次に向かう「みちのく」の地への準備期間をここで過ごした。宿泊先は、江戸において芭蕉の門人となっていた黒羽藩城代家老浄法寺高勝(桃雪)邸とその弟鹿子畑(かのこばた)豊明(翠桃)邸であった。‥‥芭蕉は黒羽滞在中、桃雪邸に8泊している。その間、4月5日(陽暦5月23日)には雲巌寺へ足をのばし、参禅の師・仏頂禅師の山居跡を訪れ、4月9日(同5月27日)には、余瀬(よぜ)の光明寺(修験道の寺院、明治初年に廃寺)を訪れた。芭蕉と曾良は、黒羽滞在中に多くの句を詠んでおり、各所に句碑が建てられている。現在でもこの地区の道路は、芭蕉が訪れた当時の面影を深く残しており、往時俳聖が辿った足跡を訪ねることができる地である。」 なお、14日間のうち6日間は雨で外出せず。

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