2014年8月18日月曜日

〇8/9(土)「奥の細道紀行」(2) 江戸深川「芭蕉庵」

「深川芭蕉庵旧地の由来・俳聖芭蕉は、杉山杉風(さんぷう)に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」などの紀行文を著した。ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて滅失してしまった。たまたま大正六年津波来週のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田勇次郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常磐一丁目を旧跡に指定した。昭和二十年戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺跡保存会が昭和三十五年復旧に尽くした。しかし、当所が狂愛であるので常磐北方の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。」
〇石造の蛙は近くの芭蕉記念館に居た。
↓芭蕉稲荷神社
↓鳥居の掲額


↓「史蹟・芭蕉庵跡」
↓句碑 「古池や蛙飛びこむ水の音」 芭蕉
この名句の生まれ故郷と主張する地はあちこちにある。その一つは岩間寺(西国33箇所観音霊場の一つ、滋賀県・石山寺の奥山)。
↓芭蕉稲荷神社
↓芭蕉稲荷神社前から隅田川を見る。白い壁が隅田川の土手。セレナ君が居る。
松尾芭蕉はいよいよ奥の細道の旅に出立することになった。
○『住(すめ)る方は人に譲り、杉風が別墅(べっしょ)に移るに、
《草の戸も住替る代ぞひなの家》(くさのとも・すみかわるよぞ・ひなのいえ)元住んでいた家には子供のいる家族が入ってひな人形も飾られた。
面(おもて)八句を庵の柱に懸置(かけおく)。』

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