2014年1月4日土曜日

〇1-4(土)智満寺本尊秘仏「千手観音立像」と・梅原猛が奈良時代の行基仏だと主張する東大寺ミュージアムの主仏「千手観音立像」との関係についての新発見。

〇この稿を観る前に・必ず次のブログにリンクして目を通して下さい→《12/21(土)東大寺ミュージアム&法華堂の仏像たち

上のブログの写真のうち・ボクが注目して欲しいのは次の写真。

↑この写真の仏像は、元東大寺四月堂の本尊で・今は東大寺ミュージアムの主人公仏となっている千手観音立像。重要文化財。制作年代・制作者とも分っていない。が、制作年代について・仏教美術界の定説は平安仏。これに対し・真っ向から異論を唱えているのが梅原猛。彼は、平安仏の様式から逸脱した・奔放ダイナミックなこの仏像を観て・奈良時代の行基仏だと直感した。ボクも・梅原説が納得できた。
〇そして「智満寺」で、秘仏「千手観音立像」には会えなかったが、本堂にあった案内で・秘仏写真も収録されている智満寺紹介写真本が本坊で購入できることを知った。¥1,000だというが、安いもの。帰り道・寺の石段を下りながら本を繰っていって・秘仏本尊の写真に至って驚いた。写真の秘仏は、ある仏像を連想させた。その仏像こそ・上に示した東大寺ミュージアムの千手観音立像にほかならない。












↑二体の千手観音立像の写真を見較べると、直観的に似ている。仔細に見ると殆ど兄弟仏。何と言っても千手の奔放なニョキ二ョキ感。この感じは・平安仏の様式美とは異質。二つの観音像の親近性をこそ思わせる。天衣の曲線の在り方、顔・腹のふくよかさなど、二つの仏像の共通性は多い。
そして本の解説文をよんでいるうち・次のくだりにさしかかった時、梅原猛説が地に足を着けて輝き出した。「宝亀2年(771)、(開山)広智は光仁天皇より行基菩薩の作と称される等身大の千手観音像を賜り、また観音像を安置する本堂をご建立いただきました」。これは、たかが寺伝にすぎない。が、されど寺伝である。奈良時代作の木造等身仏・行基仏は智満寺において存在している可能性が高い。そして、この智満寺・千手観音像と兄弟の様に姿・性質が似ている東大寺ミュージアムの千手観音像も、奈良時代の行基仏である可能性が大きい、少なくともそうである可能性を否定できない。
梅原猛さん、このブログ・見てくれないかなぁ。そんなこと・あり得ないかf(^^ゞ
〇秘仏本尊の外、ボクが挙げる智満寺の文化財は次のモノたち。
↓本堂中央の秘仏本尊を安置する宮殿(くうでん・厨子)。重要文化財
 ↓阿弥陀如来及び諸尊像刻出ガン。重要文化財
 ↓薬師堂
 ↓木造薬師如来坐像と厨子。薬師堂内。

 ↓秘仏・千手観音立像


0 件のコメント:

コメントを投稿