2014年1月26日日曜日

〇11-3(日)静岡県富士宮市「大石寺(たいせきじ)」

大石寺」(←リンク)は普通の観光寺院ではさらさらない。今も宗教寺院たる矜持が突っ張っている。法華経の教義に忠実で折伏に傾ける情熱エネルギーは凄まじい。ボクは参詣の折、折伏されかかった。折伏には常套的手法があり、それをボクは知っていたのでとにかく耳を貸さずにスタスタ退散してきた。ボクが浄土真宗門徒と聞くと、親鸞に対する攻撃がひとしきりなされたがこれは型通りのモノで底が浅く・ああそうですか‥と受け流せれるもの。しかし、身延山門流に対する攻撃は徹底的でエネルギュッシュ。日蓮上人の死後、その法灯は大石寺開山・日興上人にこそ承継されたと大石寺・日蓮正宗は主張する。日蓮の直弟子は六人いたが、身延山に居坐った弟子どもは堕落した。日蓮は日興に遺言していた、他の弟子どもが堕落したら・富士山麓に移って開山し法灯を立てよ。そして日興に日蓮真筆の御本尊をはじめ法灯承継者が護持すべき宝物を付与していた。二世・日興は身延山を離山し・富士の裾野に日蓮の法灯を継ぐべき寺院を開山した。それが大石寺だと折伏される時に説教された。日蓮宗の信徒でないボクにとって・日蓮の法灯を継ぐ正嫡が日興上人かどうかは関心の外。むしろ日蓮没後700年経った今もこんな点にこだわって論争に情熱を傾け続けるその馬力にほとほと感心し・手前はひどく疲れを覚えた。ボクの脳裏を一瞬横切ったのはイスラム教シーア派とスンニ派の法灯争い。あれほど凄まじくはないが、エネルギーを凄く傾注していることは確か。大石寺は活火山なのだ。
日蓮正宗・大石寺で特筆すべきは、創価学会とのかつての関係。この点については最後に書こう。
↓大石寺に向かった時はもう夕暮れが近づいていた。カーナビの指示に従い甲府から南下して旧上九一色村を越して富士宮市に出るコースを走れば好いものを、勝手にカーナビが間違っている独断して韮崎から富士川沿いに身延街道を南下して行った。途中でそれでは筋違いなのに気付いて軌道修正したら天嶮の峠を超えて本栖湖に出た。富士山がレンズ雲の帽子をかぶっていた。
↓本栖湖。
↓朝霧高原
↓三門前に到着。日没前。右手に富士山が見えている。




↓富士山
↓参道


↓参道。枝垂れ桜が綺麗。両側に塔頭院坊が並ぶ。










↓中門が見えてきた。
中門
中門・二天門
↓★750回記念に゛建設された法祥園。
多寶蔵
↓名鏡池


蓮葉庵
↓御影堂が見える。
鐘楼・御影堂に向かって右側。
鼓楼
↓御影堂




〇御影堂の真後ろに奉安殿があり御本尊が安置されているが、信徒でなければ・それも許可書がなければ拝観できない。
↓鬼門。これを潜ると、客殿・大坊などに行く。

↓客殿。巨大。



↓六壺
↓右・客殿、左・六壺
↓「開山上人説法石」の石碑。
大石寺が未だ出来あがらない時、二世日興上人がこの石に腰掛けて説法したという。この石のある塔頭院坊が「石の坊」。この石の前で折伏されかかった。
↓三門に戻り、さらに総門にまで来た時は完全に暮れていた。
三門
↓五重塔は隅に置かれている。それでボクは今回の探訪時、重要文化財・五重塔の存在すら知らなかった。


〇日蓮正宗・大石寺が創価学会を破門したことについて。未完。

1 件のコメント:

  1. 静岡方面へ向かわれていたので、富士山の写真が見られればいいなぁと思っていたんですよ。そしたら、あんな雲がかぶさった富士山もあるんですねぇ(´・∀・`)へ~!
    で、初、馬乗り!!行ってきましたよ~♪(* ̄ー ̄)v しばらくぶりだったのと、ベテランで元気~な牝馬だったので、遊ばれたような・・・腕が筋肉痛ですσ(TεT;) でも、アニマルセラピーっていうのか、お馬ちゃんの目が優しくて賢くって、その包容力みたいなものに救われる感じがします (o^―^o)

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