2013年12月22日日曜日

〇12,22(日)晴れ。斑鳩・吉田寺、東大阪市・司馬遼太郎記念館、浪速区・今宮戎神社、平野区・杭全(くまた)神社、富田林市・錦織(にしこおり)神社を探訪。

朝一番に探訪したのが、斑鳩「吉田寺(きちでんじ」)、別称・ぼっくり寺。泊まった道の駅「大和路へぐり」から極近い。多宝塔と本尊阿弥陀如来丈六座像が重要文化財。境内はこじんまりとして清々しい。阿弥陀如来像は平安様式だが、これがまた清楚で参拝すると心が爽やかになる。心を洗われた気持で河内に向かう。ぽっくり逝きそうにない。
吉田寺の駐車場で河内の探訪先を思い付いた。「司馬遼太郎記念館」。カーナビで探り当てて出発。カーナビの指示は自動車道に乗るんだが、ボクの余生は貧乏になるので今から節約を心掛けようと下道で行った。途中で学んだこと。柏原市は「かしわら」と読む。八尾市で「弓削」の地名を発見。弓削の銅鏡は八尾地方の出身だったんだ。八尾といえば「河内音頭」の本場。道鏡は宮廷で河内弁を使ったんだろうか。記念館は旧居宅と新築記念館が並んでいる。居宅の書斎が、庭の順路から覗き見れる。記念館内は撮影一切禁止。所蔵してない文庫本があったので、四冊買った。表に出ているスタッフだけでも十人近くいる。いずれも上品に躾けられている。記念館に立派な講堂が附設され、定期に講師を招いているらしい。安藤忠雄クラスの講師。公益財団法人が運営しているんだが、よっぽど裕福と見える。司馬遼太郎が偉大な歴史小説家だったことがまざまざと顕彰されている。公益財団法人だから・その財政的基盤は確立されているだろう。半永久的に顕彰されることになる。それだけでも巨人的。
記念館の駐車場で近くの観光寺社を探ったら「今宮戎神社」を教えてくれたので探訪してみることに。大阪市内に入った、浪速区。着いてみると、意外と境内が小さい。コンクリート校舎の様な四角く細長い建物が建ち並んでいる。駐車場もないし、探訪を一旦断念したが、ここまで来た記念撮影だけはして行こうと思い、路側にセレナを停めて境内に入った。末社の神々が、コンクリ造のアパートそっくりの建物に・アパートそっくりに窓を刳り抜いて戸を付けただけの空間にアパートの住人よろしく肩を並べて納められている。宮司のセンスを疑う。
次の探訪先もカーナビに頼ってみたが、好いのが出てこない。ので、ボク独自の資料で決めた。今宮戎神社に来る途中で「杭全」の地名表示があり、その読みがアルファベットで kumata と表記されていた。その印象(「くい・まったき」が縮まったんだなぁという)が残っていたところに、資料に「杭全神社」に三件の重要文化財建物があるとしてあったので、そこに決めた。行ってみるとなかなか大きな古社だった。旧・府社。本社と両脇の二摂社の三本殿がいずれも重要文化財なんだが、本社の本殿は・春日大社の旧本殿が移築されたものという。しかし・塀に囲まれていてよく見えなかった。遺憾。
最後の探訪地「錦織(にしこおり)神社」も独自の資料で決めた。富田林市にある。富田林は河内と大和を結ぶ交通の要衝に位置する。以前・奈良県御所市から千早赤阪越えで大阪府に入ったら・麓に来たらそこが富田林だった。また・富田林から二上山越えで奈良県を目指したら、出た所が当麻寺だった。錦織神社の本社と両脇の二摂社の各本殿が重要文化財。本社本殿の美しさに魅了された。こんなに形の美しい社殿はちょっとない。修復が成ったばかりで、その美しさは輝くばかりだった。
16:30、錦織神社を後にした。この時刻、今日か明日が冬至なのでもう夕闇が下りてきている。今夜も道の駅「大和路へぐり」に泊まることに。到着は18:00。明日は・生駒地方の重要文化財建物のある寺社を探訪しながら・家路を辿ることに。

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