2013年12月21日土曜日

〇12.21(土)東大寺ミュージアム・法華堂(三月堂)、春日大社を探訪。

七尾発08:50、奈良・大仏前県営駐車場着13:50。途中、敦賀・長浜間はみぞれ的な雪。
先ず東大寺ミュージアムに入る。お目当ての仏像たちは素晴らしかった。四月堂に安置されていた木造千手観音立像、重要文化財。破天荒に手がニョキニョキ出ている。それがダイナミックで、全体大きくどっしりした像は妙に迫力・存在感を発揮している。何処へ行っても立派に主役を張れる。国宝級だな。その魁偉な迫力に圧倒されて、梅原猛はこの像が行基・流れモノ技能集団の手になるものではないかと疑っている。制作年代を平安時代ではなく、奈良時代にまで遡らせることになる。とにかく平安時代の様式化された仏像とは全然違った感じを与える仏像だ。本物の芸術家の手になる最高傑作彫像。この本尊の脇侍が日光・月光両菩薩立像・塑像、国宝。さらにその外側左右に、四天王像が一体ずつ立っている。ミュージアムの光線の具合が最高なのだろう、どの像も素晴らしい芸術作品に見えた。こう見ると・千手観音立像は、四月堂で見た時は採光が拙くてその良さがほとんど発揮されていなかった感じがする。それでも大迫力を感じたのだから、持って生まれたモノが違うんだろう。法華堂に居た弁財天立像・塑像、吉祥天立像・塑像(いずれも重要文化財)もミュージアムに移転して、そして別室で展示されていた。この二体も素晴らしい芸術作品に見えた。不動明王坐像も移転して展示されていた。法華堂から五体も移転している。
その法華堂を次に訪れた。三年間の修復事業が成って今年の五月から拝観が再開されている。実はボクは未だ法華堂に入って仏像達にお目に懸かったことはなかった。東大寺の仏像達に関心を持った時期が、修復事業期間に懸かっていた。初めて法華堂内に足を踏み入れて仏像達に出会った・その感想は‥。ナント図体の巨大な仏像たちかと思った。どの仏像たちもただヌーと立っているだけで・ダイナミックさが全然ないと感じた。芸術的でない。その点、中央奥の本尊・不空ケン索観音立像のみが輝いて見えた。芸術性・神秘性を発揮していた。本尊以外はみんな駄作に見えたから不思議。本尊の両脇の梵天立像と帝釈天立像、四隅の四天王立像、前列中央の二体の金剛力士像、今はこんな配置なんだが、どれもただヌーと立っているだけで詰まらなく・シュミ壇上の世界が死んだよう。傑作はみんなミュージアムに持って行かれたのかッ。国宝・執金剛紳立像は秘仏でシュミ壇上に出ていないから、本尊を入れて九体の仏像がシュミ壇上に立っている。が、不空ケン索観音立像だけが中央奥で独り頑張っている感じで、他の仏像たちはその図体の大きさの割には存在価値が疑われる。ボクがこんな感じを受けたのは、光線の具合のせいだろうか。ミュージアムの光線の具合が良過ぎるんだろうか。
15:30、手向山八幡宮を通って春日大社に向かう。途中・若草山の麓を通って、裏参道から春日大社本殿に向かった。東大寺の閉門時刻は16:30。駐車場の閉鎖が何時なのか分らなくて・焦って春日大社の広大な境内をひと回りした。初詣の準備でもう拝観コースに規制が掛かっていた。とにかく焦って駐車場に戻ったら16:30。係の人に訊いてみたら、営業時間は東大寺の閉門時刻と関係なし。午前零時頃まで開いているらしい。なーんだ、それなら若宮なども拝観してくれば好かった。
その後、道の駅・大和へぐりまでの道程(みちのり)が時間を食った。この道の駅は、斑鳩の里・法隆寺をちょっと通り越して、龍田川沿いに生駒の方に北上したところにある。古代に平群(へぐり)氏族が蹯踞(ばんきょ)した地域。今夜はここで泊まる。明日は、先ず斑鳩で吉田寺(きちでんじ)「ぽっくり寺」を探訪してから・河内の国に入ってあちこち探訪するつもり。しかし・宛てがないのでこれから探訪先を研究せねばならない。

2 件のコメント:

  1. データ復旧良かったですね~おめでとうございま~す! ^ー^)ノ 新たな探訪もウキウキですね~♪( ̄▽ ̄)♪
    大容量のHDだと、壊れたらすべて失われるおそれがあると痛感いたしました(ー_ー;) ほんじゃぁ、私は小分けのHDのままで、バックアップしておけば被害は少なくて済むという訳ですねヽ(^^ )
    西日本に寒波がきているようです{{(>∇<)}} お気をつけて└(´▽`*)┘

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  2. いつ何が起きるか分りません。とにかく・バックアップです。

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