2013年9月30日月曜日

〇9/21(土)山梨県山梨市「大井俣・窪八幡神社」(二)

左・重文・末社武内大神神社本殿、右・窪八幡神社本殿。
窪八幡神社・本殿
本殿
末社・武内大神神社本殿、重文。
重文・窪八幡神社拝殿。
重文・末社高良神社本殿。拝殿の左側にある。
重文・末社高良神社本殿。
左・高良神社本殿。右・拝殿。間の奥に、武内大神神社本殿がある。

 
左・窪八幡神社拝殿、右・窪八幡神社若宮拝殿。
鐘楼から見た拝殿。
左端・若宮拝殿。右端から若宮本殿、窪八幡神社・本殿。
左端から若宮拝殿、窪八幡神社拝殿。右端・窪八幡神社若宮本殿。
右端から若宮神社本殿、窪八幡神社・本殿。左端から若宮神社拝殿、窪八幡神社本殿の拝殿。
左端から若宮神社拝殿、窪八幡神社本殿の拝殿。右端から若宮神社本殿、窪八幡神社・本殿。
鐘楼
本殿境内から、重文・末社比咩三神神社本殿を見下ろす。
左端・末社武内大神神社本殿、窪八幡神社本殿。右・拝殿。
左端から、武内大神神社本殿、窪八幡神社本殿
重文・窪八幡神社拝殿。
窪八幡神社・本殿
左・武内大神神社本殿、右・窪八幡神社本殿
窪八幡神社拝殿。
重文・末社高良神社本殿。
境内片隅のケヤキの大木。 

〇9/21(土)山梨県山梨市「大井俣・窪八幡神社」(一)。素朴だが、全国神社の鏡。佇まいが清らかで・姿が美しい。


大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)は、山梨県山梨市北にある神社である。通称窪八幡神社。創建当初は大井俣神社と称していたが、後に現在の窪の地に移したため大井俣窪八幡神社、窪八幡神社といわれるようになった。別当寺に普賢寺がある。由緒に拠れば清和天皇の勅願により、貞観元年(859)に宇佐八幡宮が勧請されたのが始まりといわれている。当初は笛吹川の中島の大井俣の地に建立され、後に現在地に遷座した。戦国期には甲斐国守護武田氏の崇敬を集め、現在の本殿は応永17(1410)武田信満が再建したものである。永正13年(1516年)には駿河国今川氏が甲斐西郡の国衆大井氏に加担し甲斐国内に侵攻し、この際の兵火により社殿の多くを消失し、現存する建造物の多くはこの後に再建されたものが多い。
重要文化財(国指定)
窪八幡神社鳥居
窪八幡神社拝殿附鰐口1
窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿
窪八幡神社末社武内大神本殿
窪八幡神社末社高良神社本殿
窪八幡神社末社比咩三神本殿
窪八幡神社神門 附石橋1

窪八幡神社本殿 附旧壁板(永正十六年)5
木造狛犬 - 昭和56312日指定
↓重文・木造鳥居

↓重文・神門

↓重文・神門、附(つけたり)石橋。

重文、末社・比咩三神・本殿。



本殿境内は一段高くなっている。

本殿境内・右側。鐘楼が見える。

本殿境内・左側。末社・高良神社本殿が見える。

鐘楼


宝物庫。重文・木造狛犬は境内に見えなかったから、多分この中に納まっている。

稲荷社

本殿裏に・末社が並んでいる。

本殿の拝殿

拝殿
若宮神社の拝殿。本殿拝殿の右側に並んでいる。
若宮神社拝殿
若宮神社・本殿
若宮神社・本殿
右・若宮神社本殿、左・窪八幡神社本殿。
窪八幡神社・本殿
本殿
末社・武内大神神社本殿。窪八幡神社本殿の左側にある。



 

〇9/21(土)甲府市「武田神社」。武田信玄公・躑躅ヶ崎館跡。


武田神社は、山梨県甲府市古府中町にある神社躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄祭神とする。旧社格は県社
1915大正4年)、大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、「武田神社奉建会」が設立され、1919(大正8年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる412には初の例祭が行われた。
境内にある宝物殿(入場は有料)には、太刀「吉岡一文字」や信玄公の軍扇、武田二十四将図等、武田家ゆかりの貴重な品々が収められている。
↓甲府市に来たのはこれで四、五回目。その都度、武田神社を訪れる。他に行く所がない。

 
 一の鳥居
 
 二の鳥居
 神楽殿
 二の鳥居。拝殿が見える。
 拝殿
 拝殿・側面
 
 
 本殿。境内に立入れないので・スッキリ見えない。
 

今回初めて宝物館に入った。予想通り目ぼしい宝物はなかったが、ボク好みのモノは、上杉方の「毘」一文字の軍旗と、武田方の「風林火山」の軍旗。