2013年5月2日木曜日

〇5/2(木)群馬県太田市「金山城址」「世良田東照宮」、桐生市「桐生天満宮」「伝統的建物群保存地区」、栃木県真岡市「浄土真宗高田派・本寺専修寺」


06:30お目覚め。熟睡した、多分。セレナの窓から見える空は快晴。今日も神仏の庇護の下・好運が続くか。朝飯前の一仕事に昨夕脚を伸ばせなかった「総持寺」を見てきた。何の変哲もない寺院だが「新田荘」と関係がありそうな直感で。境内に案内文があり、それによると太平記の時代・寺域は数倍あり、新田舘はここにあったのではないか、太平記に描かれた新田義貞の事績の幾つかはここで行われたのではないかと主張していた。食前の薬を飲んで朝食をセレナの中で簡単に済ませ、忘れてなるかと握りしめていた食後の薬もしっかり飲んだ。どうせ朝早過ぎて東照宮も資料館も足止めになるので「金山(かなやま)城址」探訪を先に済ますことに。山上の駐車場に着いたのが09:00前。ゆっくり見分していたら11時を回った。昨夕「解説好き氏」が推奨してくれただけのことはあって、戦国時代の山城では屈指の規模と構造を誇る。何と言ってもその遺構の残り方が素晴らしい。それに次から次とハイキング姿の人達が登って来る。北関東の平原の中にもっこり盛り上がった小山の上にあるだけに登り易く・また親しまれている。この点が七尾城と大違い。太田市世良田(せらだ)に戻ったら正午過ぎ。歴史公園駐車場に隣接する和食店に入って「麦飯とろろ定食」を注文。満腹。食前の薬の飲み忘れに途中で気付いて慌てて飲んだ。飲まぬより好いんじゃないか。夕食前後の服用は絶対忘れないように<`ヘ´> そしていよいよ「世良田東照宮」拝観。拝殿・唐門・本殿(いずれも国重要文化財)をじっくり見て撮影。所要時間は20分足らずでないか。この撮影の為に昨夕から野宿して待機していたのにあっさりしたもの。直ぐに桐生市に向かった。足利市を去年丹念に回ったので・今年ここまで来た以上桐生市も回っておこうと思っただけ。ネット検索すると桐生市も行く所がない街。「桐生天満宮」を無理に目標に設定。カーナビが認識しない目標なので道中四苦八苦。何とか辿り着いたが「世良田東照宮」に辿り着いた時の様な胸のときめきがない。昨夕日没までのひと時を「世良田東照宮」と「長楽寺」の境内を夢中で風が吹き渡るように歩き回ったあのひと時は、本当に夢の中に居るようで楽しかった。ところが運というモノは付いてるときには着いてるモノで、桐生市が伝統的建物群保存地区の指定を受けていることは知っていた。できたらその地区を歩いてみたいと思っていたら「桐生天満宮」の前の通りにそれらの建物が並んでいる。で、神社の駐車場にセレナを置いてちょっくら散歩し撮影してきた。桐生の伝統的建物は綺麗ではない、ちょっと興醒め。桐生の街を歩きながらこのあと真岡(もおか)市に足を伸ばし浄土真宗高田派の「本寺・専修寺(せんじゅじ)」を探訪することを決意。親鸞上人は京から越後に流されたあと赦免されると下野国・真岡の高田に来てここを本拠に説法した。高弟・真仏らを中心に教団が形成され浄土真宗高田派となった。親鸞が京都に戻った後、門徒の代表達が信仰上の疑念を晴らすため・真岡高田から遥々京都まで親鸞を訪ねて行った。その時の質疑応答を門徒代表が聞き書きして今に残ったモノが「嘆異抄」。その後、高田派本山は伊勢国津に移った。それが浄土真宗高田派「本山・専修寺」。一方真岡高田の元本山は「本寺・専修寺」と呼ばれるようになった。因みに高田派本山は、自派の門徒が残した「嘆異抄」を無視している。高田派本山には親鸞上人の真筆とされるもの全体の4割強が集中している(東西本願寺派も及ばない)、門徒の聞き書きに拠らなくとも御真筆だけで親鸞上人の御真意は十分理解できるという訳。高田派は親鸞上人の真筆所有量が東西本願寺に対して圧倒的であることが誇りなのだ。浄土真宗高田派「本寺・専修寺」がその後どうなったのか、ボクは津市の「本山・専修寺」を探訪した時から気になっていたのだ。その疑問を今回北関東を旅行した折に晴らそうという訳。しかし真岡市高田に到着した時はもう午後5時半を回っていた。参拝時刻はとっくに過ぎている。参拝は明朝になることを覚悟の上で一応覗いてみることに。寺の入口は末寺の様に貧相な参道。「本寺・専修寺」は廃寺になっているのかと本当に思ったほど。惣門の両脇の潜り戸の戸が両方とも無くなって境内に入れるし戻っても来れそう(境内を探索しているうちに閉門されて出れなくなることを一応惧れた)。境内に踏み込むと情景が一変。広々として上品な堂宇が散在し、塵一つない清潔さなので夕刻なのに晴れ晴れとして明るい気がする。一瞬でボクは痺れた。夕暮れまでに時間がないので俊敏に行動し境内の四方を探索し拝観した。その間誰も現れない。ボク独りだけの世界。やがて夕暮れたので境内を後にした。生涯に二度とないような時間空間体験だった。不思議な世界があったもの。高田の手前に「二宮」の在所がある。そこに「二宮尊徳・資料館」があることを知った。が、閉館時刻はとっくに過ぎている。探訪は無理だと分っているので通り過ぎようとしたら大きな公園駐車場が現れた。思わずハンドルを切って中に入った。今夜泊まれそうな雰囲気がある。そこでそのつもりになってこの文章を書き始めた訳だが、いかんせんネットに通じない。それと明朝「二宮尊徳・資料館」を探訪するのも好いなと思ったが、考えてみたら早朝から開館する筈がない、待たねばならない、時間の無駄。「二宮尊徳・資料館」の観覧ために二時間も空費する価値観をボクは持ち合わせていない。この辺りで切り上げて電波の通じる所に移動してそこに泊まろうと思う。その電波の届く所にやって来ました。宇都宮市の近くの「壬生ハイウェイオアシス」。今夜はここで寝ます。おやすみなさ~い(^.^)/~~~

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