2013年2月28日木曜日

〇四国88札所霊場巡り、第62番・愛媛県西条市「寶寿寺(ほうじゅじ)」

〇「寶寿寺」は西条市の街の中にある。中世には大三島に鎮座する「大山祇神社」の別当寺として繁栄したそう。高野山真言宗。本尊は十一面観世音菩薩。

本堂
新・大師堂
旧・大師堂
新旧・大師堂

2013年2月27日水曜日

〇2/28(水) 樹皮模様幻想を求めて街路樹に取り憑く。

午後の裁判が終わって、勝利的な和解が成立してやれやれと肩の荷を下ろしたついでにアスティどんたくに買物に寄って、そのついでに店の前の街路樹の幹模様を観察した。そのボクを車の流れの中で観察している人がきっといたに違いない。
↓「泣いてやるぅ(/_;)」
↓「カマキリどす」
「トホホの顔」
「ET、うち帰る」と言っている。
↓「ブタ耳」
〇お近くに面白い木がありましたら「出張鑑定」いたしますので御連絡下さい。

〇四国88札所霊場巡り、第61番・愛媛県西条市「香園寺(こうおんじ)」

〇「香園寺」は驚いた寺である。四国霊場に限らず日本で寺と謂えば、本堂があり大師堂などの御堂があるもの。それがこの寺にはない。代わりに巨大な鉄筋コンクリートの直方体建造物が正面に偉容を誇って横たわっている。称して「大聖堂」。その一階が大講堂、二階が金堂と大師堂。真言宗御室派。本尊は大日如来。 ↓山門・仁王門はない。
↓境内・奥の正面に不思議な巨大な建造物が見えてくる。仏閣・伽藍には見えない。
「大聖堂」と呼ぶそう。鉄筋コンクリート・二階建て。
境内風景。鐘楼の左に見えるのが子安地蔵堂。香園寺が普及させた「子安講」の崇拝対象の子安地蔵が祀られている。
校舎に見えるが宿坊らしい。手前に納経所がある。
大聖堂の中央に設えられた拝所。
大聖堂・左側面から階段を昇って二階に行く。
すると、金堂・大師堂の入口がある。
二階、金堂・大師堂。本尊・大日如来座像。
驚かされたでしょう。

2013年2月26日火曜日

〇四国88札所霊場巡り、第60番・愛媛県西条市「横峰地」。石鎚山岳宗教・修験道の寺。

横峰寺の歴史・由来

西日本の最高峰・石鎚山(標高1982m)は、山岳信仰の霊地であり、修験道の道場でもある。弘法大師・空海が24歳の若いときの著書『三教指帰』の中で「或時は石峯に跨って粮を絶ち(断食)轗軻(苦行練行)たり」と、この山で修行した様子を記している。境内は山の北側中腹(750m)にある。四国霊場のうちでは3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所であった。昭和59年に林道が完成して、現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで車で行き参拝できる。ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となる。大型バスは通行が不可である。
縁起によると、白雉2年、役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、山頂付近に蔵王権現が現れたという。その姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建とされている。また、延暦年間(782〜806)には石仙仙人という行者が住んでおり、桓武天皇(在位781〜806)の脳病平癒を成就したことから、仙人は菩薩の称号を賜ったと伝えられる。
弘法大師がこの寺で厄除けと開運祈願の星供養の修法をしたのは大同年間(806〜10)とされ、このときやはり蔵王権現が現れたのを感得、堂宇を整備して霊場とした。以来、神仏習合の別当寺として栄えているが、明治新政府の廃仏毀釈令により寺は廃寺となった。明治42年になって、檀信徒の協力によりようやく復興している。
↓石鎚山のポスター
黒瀬湖
石鎚山
〇「横峰寺」へ分岐する山道を辿ると、有料林道にさしかかる。その入口に立て看板があり、ナント「この林道は凍結のおそれがあるので、12月下旬から2月末まで通行禁止」なんだと。ゲッ、全88ヶ所霊場巡礼の悲願が絶たれた。仕方がない、後日季節を改めて再訪しよう。
↓そこでとりあえず「石鉄山・横峰寺別院」と称する御堂を探訪。

ついでに御堂の前の川を遡ってみると、不思議な切り口の超巨岩が川床に横たわっている。こんな巨岩が何処から来たのか。




〇横峰寺の駐車料金は1,800円もするそう。もっともこれは林道通行料金の由。この料金額を聞いても如何に険しい山岳に分け入るものか見当がつく。I shall be in yokomineji-temple, someday.

〇私の散歩。樹皮模様・奇妙奇天烈発見隊。

秋田・青森・北海道の記録的豪雪に比べれば今年の北陸の積雪は軽い、軽い。白銀の世界を愛でる余裕がある。
鷹合川のカルガモ越冬隊。
樹皮模様観察。「蟻の飽食」
↓「七尾のツタンカーメンのマスク」

2013年2月25日月曜日

〇四国88札所霊場巡り、第59番・愛媛県今治市国分「国分寺」

〇伊予「国分寺」は愛媛県今治市国分に所在する。かつて伊予国の中心はここにあった。真言律宗。本尊は薬師瑠璃光如来。

本堂境内へ。
本堂
大師堂
〇元の国分寺は、現在地から東へ150mほど行ったところにあった。今も塔の礎石が13個ほど残っている。その遺跡から推測して建っていたのは、七重塔で高さは60mもあったとみられる。往時の伊予国分寺の壮大さが思い遣られる。

2013年2月24日日曜日

〇滋賀県日野町「蒲生氏郷公銅像」

滋賀県日野町雲雀野という所に「蒲生氏郷公」の銅像発見。それがどうしたッて一喝されると非常に困るんだけど‥ボクは記念に撮って来た。蒲生氏郷は戦国時代の英傑。秀吉によって、家康に対する抑えとして東北地方の大大名として遣わされてその地で老いる前に果てた。銅像が建つくらいだから、日野町では故郷の英雄か。


これで、甲賀探訪記は一応終わりィ。

〇滋賀県甲賀市「六角堂」

三差路に建つ「六角堂」。


この御堂が何だと謂われると‥困るよねf(*_*; 江戸時代に地元の大工の棟梁が建てたらしい。

〇滋賀県甲賀市・新宮神社「表門・重要文化財」

新宮神社の「表門」が国重要文化財だというので見学に行った。茅葺。




新宮神社・拝殿
本殿