2013年1月31日木曜日

〇四国88札所霊場巡り、第37番・高知県高岡郡四万十町「岩本寺」

〇岩本寺は高知県高岡郡四万十町にある。合併前の旧・窪川町。真言宗智山派。本尊は不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩の五尊。 前の36番「青龍寺」からこの37番までは実に遠い。くたばってしまう。故に宿坊がある。しかし本当に遠いのはこの寺から次の38番札所「金剛福寺」までの道程(みちのり)。足摺岬の先端まで山登り谷下りを繰り返して行く。昔の歩きお遍路は死ぬ思いで辿ったろう、「金剛遍照、二人同行」と称えながら。丸一日歩き続けて辿り着くかどうか。ボクなら辿り着けない、途中で倒れて死ぬ、絶対。
↓山門
本堂

左・大師堂、右手前・聖天堂。
開山堂
聖天堂。歓喜天が祀られている。
〇いよいよ遍路ころがし・最難関旅程、足摺岬へ。

〇1/31(木)鷹合川の冬鯉。

〇事務所の裏の鷹合川の土手を歩いて喫茶店エストへ。久し振りの晴天。 水が一応澄んでいる。↓この写真の範囲内に大鯉が底に潜んでいるのが見える。
↓底に固まっているのが見えるかな。

数日前の鷹合川。カルガモ越冬隊。多いときは25羽ほど姿を見せる。そのうち地元組は7羽ほどで、あとは飛来組。ガーガーと警告音を発して直ぐ飛び立って逃げるのが飛来組で、地元組はボクの散歩姿を見ても飛び立たない。カルガモ程度の頭脳でも学習する。
大鯉たちは、数日前には近くの別の箇所に屯(たむろ)していた。



2013年1月30日水曜日

〇四国88札所霊場巡り、第36番・高知県土佐市「青龍寺(しょうりゅうじ)」

「青龍寺」に着いた。今は↑「宇佐大橋」を渡って来れるが、この橋が架かるまでは舟で来た。↓本坊。真言宗豊山派。本尊は波切不動明王。
本堂のある山を望む。
最初にある「恵果堂」。空海が入唐して密教を教わり伝法を受けたのが、長安「青龍寺」の「恵果」阿闍梨。その師を祀る御堂だそう。因みに「青龍寺」という寺名は空海が学んだ長安の「青龍寺」からきていると思われる。ここが「青龍寺」と謂われる所以は。空海が伝法を受け日本に帰る時、唐の国から独鈷杵を本国に向けて投げた。弘法大師となって全国を行脚している時、この地で独鈷杵が木に掛かっているのを発見した。そこでこの地に「青龍寺」を開創した。山号は「独鈷山」。独鈷杵が唐から飛んで来ていた地は、この寺の奥の院のある所だという。
仁王門へ
仁王門
横に三重塔が建つ。
↓聖天堂
本堂への石段
本堂。本尊は波切不動尊。重文・愛染明王像も並んで祀られているそう。
本堂右にある薬師堂は修復中。
覆いの中を覗いて見ると、六角堂。
本堂左の大師堂。
手前・大師堂、中央・本堂。
西国33所観音霊場の石仏観音像
本堂前・左右に立つ明王像。

〇法隆寺宮大工棟梁の口伝。中日春秋・2013/1/28より。

北陸中日新聞'13.1.28「中日春秋」より引用。
「法隆寺の宮大工には、棟梁の心構えが代々口伝されている。昭和の大修理を担当し、「最後の宮大工」と呼ばれる故西岡常一さんは「堂塔の木組みは、寸法で組まず木の癖で組め」と語っていた▼木材には癖がある。左右にねじれを戻そうとする木を組み合わせ、部材同士の力で癖を封じ全体のゆがみを防ぐ。「木の心」ともいえる癖は育つ環境で左右される。それ故、山まで足を運んで地質の癖を見ぬいてから買う。「木を買わず山を買え」と伝わるゆえんである▼揃えてしまうということは、きれいかもしれませんが、無理を強いることですな」と西岡さん。木の命をつなぐ技術があれば「木は鉄を凌駕する」という▼棟梁の立場は優れた教師に通じる。成育環境も踏まえ、子どもの性格を見抜いて長所を伸ばす技量が求められる。暴力と恐怖で服従させるのは、木の癖も考えずに組み立てる三流の宮大工以下だ▼‥‥略」。愛知県立豊川工高事件・大阪市立桜宮高事件についての評論記事だが、ボクは故西岡常一氏の口伝に心服した。神髄が達人の口をついて出る言葉は美しい。

2013年1月29日火曜日

〇四国88札所霊場巡り、第35番・高知県土佐市高岡「清滝寺」

〇「清滝寺」は土佐市の山中にある。人里を越えてかなり深く高く登る。真言宗豊山派。本尊は薬師如来。朝一番に須崎市の道の駅から戻ってきた。 ↓山門
「四国第35番霊場医王山・清瀧寺」
中央・本堂、左・大師堂、右に何かの御堂。薬師如来の巨像が立っている。
中央に薬師如来像。高さ15mもあるそう。
大師堂。左端に修行大師像が立っている。
本堂。本尊は薬師如来。像は国重文。
御堂
寺の境内に「琴平神社」がある。

鐘楼と唐門
境内からの眺望

〇四国88札所霊場、第34番・高知市春野町「種間寺(たねまじ)」

〇雪渓寺の近くに次の札所霊場「種間寺」に行く案内矢印があった。もう夕暮れが迫っていたが、どうせ宿泊地探しに向かう方面なので探索してみることに。 ↓着いた時は夕暮れた。
確かに第34番「種間寺」と刻してある。
本堂。暗闇。
大師堂。暗闇。
完全に夕闇に閉ざされたので、今夜はどこかの道の駅にでも泊まって明朝出直すことに。その道の駅が近くになかったので困った。山に近づく方面には田舎風の道の駅があると地図に載っているが通信はできまい。それで以前泊まって電波が通じたことのある「道の駅・須崎かわうその里」まで行くことに。高知市からは土佐市を経由して一時間近くかかる。基幹国道を行く。そして「かわうその里」で一夜を明かしてトンボ返りで「種間寺」に戻って来た。種間寺は真言宗豊山派。本尊は薬師如来。唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間。大師は薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。
↓鐘楼と本坊。
境内へ
左端・地蔵堂
地蔵堂
手前にあるのは鐘楼ではない、観音堂。奥に本堂。
これは観音堂。中央に観音像が立っている。
本堂。本尊・薬師如来像は国重文という。
大師堂。本堂は左手にある、見えないが。
〇次は第35番「清滝寺」。雪が舞いだした。