2012年12月31日月曜日

〇12/31(月)大晦日!今日は南・西伊予の巡礼で日が暮れ、気付いたら歳も暮れていました。

今日の霊場巡りは伊予・愛媛県。41番から45番、地域的には宇和島市・西予市・久万高原町を廻った。 続く46番から53番は松山市。以前国宝探訪の旅で松山を訪れた時、51番「石手寺」の国宝楼門・52番「太山寺」の国宝本堂を見たが、その際ついでに札所霊場も46番から52番までの探訪を終えておいた。松山市では53番「円明寺(えんみょうじ)」だけが残された。それで明朝は53番から霊場巡りを開始する。53番「円明寺」は松山港の北に位置する。そこに一番近い道の駅を探したら、北も北、北条市を過ぎた所に一つあるのみ。仕方ないから今夜はそこに宿ることに。道の駅の名は「風早の郷」。明朝松山に取って返して53番・円明寺を探訪し、また取って返して泊まった道の駅を通過して今治半島を一周して半島東の今治に出る。今治市に札所霊場が六つもある。西条市に五つ、四国中央市に一つあって、それで伊予の霊場探訪が終わる。元日だけでは周るのが無理そう。
ところでボクは年末がもう押し詰まっていることは分っていたが、今日が大晦日だという認識がなかった。妙なもので一旦大晦日だと知るとしんみりとする。明朝元旦を迎えるということよりも、今夜が大晦日で一年がまた過ぎ去るんだということの方が心に迫るものがある。無常を感ずる。日々過ぎて行く一日が今日もまた過ぎて行くだけなのに。大晦日という言葉は特別な感情を喚び起こす。ボクはかつて子供達が家庭に居てワイワイしていた時代の感情を蘇らせた。すべてが若かった頃の・今は思い出としてのみ喚起される感情。それは、今こうして見知らぬ伊予・北条市の道の駅で大晦日の夜に孤独をかこちしんみりと無常を感じている現実の中で、この世の事とは思えない美しさを感じさせる。大晦日は、一年間の事どもをまとめて過去に押し流し思い出と化すことによってあるいは美化しあるいは忘却化するために必須の儀式なのかも知れない。これを毎年繰り返す。さすれば人間と社会は、現実というものに永久に耐えていけるだろう。
それではボクのブログをわざわざ開いて下さる人々に今年最後の御挨拶。この一年間お付き合い下さって有難うございました。新年もどうかお付き合い下さいね。霊場巡礼の記事が満載されるので開くとひょっとかして御利益があったりしてf(~_~;)。(^.^)/~~~

2012年12月30日日曜日

〇12/30(日)土佐国の札所霊場巡り、39番宿毛市「延光寺」まで完遂。南伊予に入り40番「観自在寺」で日が暮れかかった。

今日はほぼ予定通り札所霊場巡りをやった。一日中本降りの雨で傘を差しての探訪。午前中、土佐市の35番「清滝寺」、36番「青龍寺(しょうりゅうじ)」を探訪、ついでに昨夕到着したら夕闇に包まれた35番高知市「種間寺(たねまじ)」も再訪。37番四万十「岩本寺」・38番土佐清水市足摺岬先端「金剛福寺」は既に探訪済みなので飛ばして、いよいよ土佐国最後の39番宿毛市「延光寺」に駆けつけることに。カーナビで探ると土佐市13:30発で到着予定が16:30と出た。それじゃもう夕暮れになる。時間を節約するため下道を捨てて自動車道を走ることに。前回高知県を走った時は高知自動車道の西の終点は須崎市だったんだがそれが四万十(旧窪川町が中心)まで延伸していた。四万十(旧中村市が中心)まで下道で来たら何と「中村・宿毛道」が開通していて助かった。道は宿毛までの半ばで終点になったが、延光寺はその終点から遠くなかったので大助かり。到着は15:00。この寺の探訪を終えたのが15:30。この時点で今後の年末年始の旅程が決まった。ボクは宿毛市に向かう旅程を立てた時、宿毛港からフェリーに乗って九州に渡る(多分日向市に着く)腹案を持った。が、宿毛市到着が夕暮れ時になっては気が乗らない。宿毛市の道の駅で泊まって明日の旅程を考えようと思ったんだが、「道の駅・すくも」にも難点がある。前回泊まった時、インターネットに接続不能だった。15:30ならまだ日のあるうちに一仕事できる。決断し、宿毛市を素通りして(「片島フェリー」の案内表示を二度見た)県境を越えて伊予国・愛媛県愛南町に突入。伊予国札所霊場40番(これが一番若い数字)「観自在寺」を目指した。国道56号線を御荘(みしょう)町まで走って来たら「観自在寺」右折の案内を発見。そのとき同時にボクは「道の駅・みしょうMIC」200m前方左折の案内も見たのだ。今夜の宿まで発見。一石二鳥とはこのこと。しかもここは市街地の真ん中。電波はきっと繋がる。一石三鳥だ。16:00過ぎ、寺に到着。未だ陽がありゆうゆうと探訪を済ませた。そして嬉しさ満杯で道の駅に入った。そして併設の産直市場で冷酒「酔鯨」300ccと揚げ物二品をご機嫌で買った。観光案内所の扉が年末休暇中だというのに開いたので恐る恐る覗いてみると、オジサンが親切にボクの所望にピッタリの道の駅案内マップを出してくれた。何もかもが絶好調に噛み合ってきた。明日からは伊予国の札所霊場巡りを本格的に開始することにいつの間にか決まった。

2012年12月29日土曜日

12/29(土)阿波国の札所霊場巡りを完遂、土佐国の霊場巡りも明日には完遂か。

 昨日の「太龍寺」登山の話はどうやら誤解を生む惧れがあるので一言。現に調子に乗って無茶をすんな的なお小言が来た。みんながロープウェイを利用するのにボクだけセレナに鞭打って登ったのは、ロープウェイ山麓駅を探している時間がなく、たとえ山頂駅に立てたとしても戻りの最終便に間に合わないと思ったから。とにかく昨日のうちに太龍寺探訪を済ましておかないと今後の旅程が台無しになるので必死のパッチだった。無茶な手前勝手な料簡を起したわけではないことを御理解のほどを。
 今日は予定通り阿波国の残り二つの霊場探訪を午前中に済ませ、土佐国に向かった。室戸岬経由は既にみっちり経験しているので、山中踏破のルートをとった。いきなり高度のある峠目指して一気に駆け上がり、あとは川沿いに谷間をどこまでも下って行き安芸市に出るコース。安芸市に近づいた山中に「中岡慎太郎」の生家があったので見学。記念館は年末休暇に入って休館。彼は大庄屋の家に生まれた。郷士。京都の近江屋で坂本竜馬と一緒に居る所を襲われ暗殺された。司馬遼太郎は彼の思想家としての資質を高く買っていた。
 高知市で五台山上にある霊場31番「竹林寺」を探訪。宝物館に国重要文化財の仏像が十数体並んでいるが、取り分け小っちゃな十一面観音像は素敵な文化財。これで以前探訪済みの分を加えて、土佐国の霊場巡りが室戸から高知市まで繋がった。24番・室戸岬灯台を抱えた「最御﨑寺(ほつみさきじ)」から32番「禅師峰寺(ぜんじぶじ)」まで。最御﨑寺の鐘楼の撞き出す鐘の音がNHK大晦日番組「行く年来る年」に時々登場する。知恩院・東大寺の大鐘の向こうを張って。禅師峰寺は全山石山だがその石の見事さ奇妙さは登ってみないと分らない。五台山を下った時はもう夕暮れの気配だったのに欲張って桂浜近くの33番「雪渓寺」にまで足を伸ばした。着いたら午後5時。辛うじて写真撮影が可能の時間帯。ついでに高知市内最後の霊場・34番「種間寺(たねまじ)」まで探索に赴いたら完全に日が暮れた。折角なので種間寺はフラッシュ撮影。こうなるともう何のために走り回っているのか自分でも分らない。順番を早くこなすことに取り憑りつかれている。土佐国で未だ探訪していない札所霊場は、土佐市の35番「清滝寺」と36番「青龍寺(しょうりゅうじ)」。これを済ますと、37番四万十町「岩本寺」と最難関の足摺岬先端38番土佐清水市「金剛福寺」は既につまみ食いしてあるので、残すは宿毛市の39番「延光寺」だけ。明日中に完遂しよう。伊予国と讃岐国の札所霊場巡りは今回は断念して後日の楽しみに取っておくことにするか。
 今夜の泊まりは須崎市の「道の駅・かわうその里すさき」。うそー、て思うだろうが本当。もっともつい最近、須崎市のカワウソ保護団体が須崎市のカワウソが絶滅したことを公式に認めていた、TVニュースで。 ここは土佐市から数十キロ西に行き過ぎている。が、ここまで道の駅=宿がないので仕方ない。明朝ここから土佐市に戻り霊場巡りの続きを開始する。(^.^)/~~~

〇四国88箇所霊場巡り・21番「太龍寺」、徳島県・太龍嶽山中。

〇普通の人は麓からロープウェイで山頂駅に降り立つ。カーナビも山頂に至る車の通う山道を検索できない。それをボクはセレナに鞭打って対向車が下りてくれば一巻の終わりとなる細い未整備道を駆け上がった。途中でセレナを乗り捨てて残り1,200mの登り坂を足で登った。ボクは狭心症で貧血症なのだ。心臓と脳に悪いのは分っているが、そんなことを言っていられない。「太龍寺」が弘法大師信仰にとってどれだけ重要な寺かは、前回の記事に認めておいた。今日夕暮れまでに山上に立たねばもうその機会はないのだ。雨の中、ボクは必死のパッチで遂に仁王門に辿り着いた。カーナビに何度も誤導されて太龍嶽の裾を走り回っているうちにいつしか夕暮れが迫っていた。
雨が霧を喚んで山上は忽ち濃霧と化した。日没前だが霧のせいもあって景色は夕暮れのそれとなった。仁王門から堂宇伽藍境内までまだまだ登り坂が続く。
とうとう堂宇伽藍境内に到達。これは経蔵。
護摩堂
納経所・庫裏・本坊などの建物が並ぶ。最奥・霧の中に護摩堂があるんだが‥
山門が見えた。
山門石段の左に、四国ロープウェイ山頂駅に行く道がある。
山門を潜るとさらに石段が出現する。
石段を登り切ると本堂境内に立つんだが‥最奥の灯りが本堂の灯り。
相りん塔
本堂。本尊は虚空蔵菩薩。
岡の上に建つ多宝塔。
右上・多宝塔、左下・本堂。
多宝塔
本堂
大師堂へ向かう。
正面・大師堂、左端・中興堂。太龍寺も中世に衰亡しかかった時がある。その危機を救った中興の祖が二名祀られている。
大師堂
中興堂の背後に多宝塔がシルエットの様に浮かんでいる。
とにかくボクは太龍寺の境内に立った。そして太龍寺の今の姿をこの目に焼き付けた。悔いを残さずに済んだ。\(^o^)/や。

2012年12月28日金曜日

〇12/28(金)阿波・徳島県の88箇所霊場を廻り切れなかった。

一日中雨。午後からひどくなる。今日は13番「大日寺」から始めたが、吉野川北岸の寺々と比べて南岸の寺には面白みに欠けるものが目に付いた。予定では阿波国に23ある霊場全部を廻り切るつもりだったが、遺憾ながら21番までの探訪で終わった。その最後の20番「鶴林寺」、21番「太龍寺」で一気に凄味が出た。奥山深くの山上に奇跡的に大伽藍が建ち並んでいる。しかも雨が霧を喚んで、写真には全然不向きな気象だが、目には幽玄の気が見えて幻想的だった。特に21番「太龍寺」は、空海・24歳時の著作「三教指帰(さんごうしいき)」の中に「自分は19歳の時、阿波の国の太龍嶽に登って、虚空蔵求聞持法を修し‥」と記して太龍嶽での修行が大師の生涯を画する重要なものだったことを述べている。大師の超重要な聖蹟に立地して現代まで維持されているのが太龍寺。空海が艱難辛苦の修行をした山だから簡単気楽に登れるはずがない。車で登ろうなどとはとんでもない。寺に参詣する人達は麓からロープウェイに乗って登って来るということを知ったのは今日。ボクは敢えてセレナに鞭打って登ることにした。今日中に「太龍寺」をこの目で見なければ、ボクは切腹ものなのだ。古いカーナビは登山ルートを探せない。何度も誤導ルートを示してボクをあちこちの山村を引き摺り回した。ボクはカーナビを絶対信じないことにして現地の案内標示だけを頼りにしてようやく辿り着いた道は‥入っとからして幅が車一台分しかない。蛮勇を奮って進む道は何処まで行っても一車線ぎりぎりしかない。それも未整備。切り返さなければ絶対曲がれないカーブもある。運転初心者は心臓を悪くして死ぬ‥かも。そのうえ小広場で車を乗り捨てさせられてから1200mも登り道を歩かされる。いやはや物凄い山岳寺院だった。が、山上には大伽藍が待っていてくれた。それが何より。しかし濃霧に閉ざされて写真には多分何も写っていない。幻想の世界をボクは見てきたのだろう。結局22番「平等寺」と23番「薬王寺」は明午前中の仕事になった。今夜の泊まりは「道の駅・日和佐」。薬王寺の真ん前にある。平等寺まで探訪しておければお誂え向きだったんだが、仕方がない、明日は一旦戻る旅程になる。この道の駅はデカイ、雰囲気も明るい、電波の調子も良い、向かいにコンビニもある。ボクは知っていてここに来た。前の四国旅行でここで泊まったことがあるのだ。あの時は深夜に低気圧が通過して突風が吹き雷雨にやられた。夏で窓を開けて寝ていたので、セレナが揺れるので目覚めた時はもう車内がずぶ濡れだった。
明日午前中に阿波国の霊場巡りを完遂した後の旅程はまだ決まっていない。土佐国に入ってからの霊場巡りは、高知市内までの分は探訪済み。それにしてもつくづく・しんみりと思わされたんだが、昔のお遍路さんは死ぬ覚悟で旅に出たのだ。そして死ぬほど辛い思いをしながら歩き続けた。中に旅の途中で倒れ路傍で息絶えた人も数え切れないほどいただろう。行き倒れて身許不明で終わった人の供養碑が古びて所々に残されている。また、お遍路さんを見る地元の人達の目が優しいことにも気付かされる。時々遍路姿でとぼとぼと道行く人を見かけるがちっとも変でない、違和感がない。昔ながらの遍路道(行政が「四国みち」と呼ぼうと呼びかけている)に木造の新・休憩所が作られていたり、お茶の接待の案内が出されていたりする。

2012年12月27日木曜日

〇12/27(木)阿波の国・徳島県の中をまだウロウロしている。

阿波国・徳島県内に四国88箇所霊場が23寺ある。鳴門市の霊山寺を第1番に吉野川の北岸沿いに上流に向かって10寺並び、吉野川を渡って南岸に今度は下流に向かって第11番・藤井寺以下が徳島市内まで並び、そのあと数箇寺が小松島以下海岸沿いに土佐・高知県の境まで並んでいる。お遍路さん用に廻り易く順番設定されているので、車でなら楽勝だ、よしっ、阿波国の霊場を全部今日一日で回ってやろうと目論んでいたんだが、霊場は平地ばかりじゃなかった。第12番「焼山寺(しょうさんじ)」に至ってはとんでもない深山にあった。この焼山寺で夕暮れてしまい、今日の旅程はこれまで。13番以下は明日に残された。今夜のねぐらは‥昨夜のインターネット接続が見事だった道の駅・第九の里に連泊することに。明日の旅程の始まりも、吉野川を渡って対岸に出ればそれでよい。それにしても今日廻った四国88箇所霊場寺院はいずれもさすがに古刹で見応えがあった。中でも焼山寺には感動させられた。奥山深くといってもあんなに奥深い山頂にあるとはとても想像できない。その奥山の山頂に一揃い、立派な伽藍が建ち並んでいる。その佇まいが美しい。お遍路さんはみんなその昔、歩いてこの奥山の山頂寺院に辿り着いたのだ。途方もない努力。ボクなら道中で倒れて死ぬ。四国88箇所霊場には古刹としての品格が備わっている寺院が多い。好い写真が撮れそうで嬉しい。

2012年12月26日水曜日

〇11/26(水)南海フェリーで和歌山港から徳島港へ渡る。

和歌山港に停泊中の南海フェリーつるぎ号。これに乗船する。想定外に大きい。
車輛甲板。手前の水色の車がボクのセレナ。右サイドミラーの根元の塗装が剥げ落ちているので間違いない。
一般大衆用の休憩室。

因みに↓グリーン室もある。追加料金500円を払えば入れるが、誰も入ろうとしない。
↓トラック運転手には特別待遇が与えられている。車長が長いと料金が高い、それにトラックは馴染むと定期に頻繁に利用してくれる。大のお得意様というわけ。
奥の壁にあるのは簡易ベッド。
乗客甲板の後部には避難集合場所が設定されている。
ここが避難集合場所。洞爺丸やタイタニック号の悲劇もあったことだし、危機に対する対策は万全に越したことはない。
和歌山港を離れていく。雑賀﨑方面。
赤いアーチ型の鉄橋。この辺りから出港した。

11/26(水)徳島県鳴門市・道の駅「第九の里」に着いた。

晩八時、鳴門市街から吉野川を少し遡った所にある道の駅「第九の里」に着いた。ドイツ館に併設されている。第一次大戦時のドイツ将兵捕虜をここに収容していた。当時の日本陸軍は戦時国際法規期を遵守し、地元民もドイツ捕虜と友好関係を築いた。その当時の友好関係を今も忘れられずに遂に記念館を建設した。もう遅いし、ここはまた阿波の国のまほろばなので、ここに野営することに。早速期待せずにインターネットにダイアルアップ接続を試みたら何と一発で繋がった。周囲は真っ暗闇で人家の灯りが見えないのに不思議。近くのドイツ記念館にかなり強力な送受信アンテナがあるんだろう。ここが阿波の国のまほろばというのは、この道の駅の直ぐ東に四国八十八箇所札所霊場第一番「霊山寺」があり、直ぐ西に第二番「極楽寺」がある。直ぐ北に阿波の国一ノ宮「大麻比古神社」があり、近くに「土御門天皇火葬陵」「阿波神社」がある。もしも、万一、インターネットに接続したら、先ず報告したかったのは今この道の駅に居ること。昨晩、石垣島から伊丹空港に降り立った。それから関空傍の関西エアターミナルワシントンホテルに車を預けて出立していたので車を取りに関空に戻り夜十時半にワシントンホテルに辿り着きそのまま泊まって疲れをとった。今朝九時、女房・おばあちゃんとホテル駐車場で別れた。ボクは南下し和歌山市街地に入った。関空から和歌山市は近い。和歌山市街で探訪した所は、「紀州東照宮」「和歌浦天満宮」。いずれも楼門に至る高い石段が45度の角度でそそり立っている。国重要文化財建造物が並び建つ。一見に値する。雑賀﨑を巡る山岳道路どころでないクネクネ道を走ってみた。「雑賀」の名が残っているんだからこここそ戦国時代に信長を大いに悩ませた鉄砲集団「雑賀衆」の本拠地と観たから。道の有様を見ても分る通りここは前が岩山の連なりで背後が岩礁という難攻の地。普段は漁業に従事していたものか。穏健な百姓の気風の地ではない。雑賀﨑を北に回り込むと紀州徳川藩の海岸別荘「養翠園」があったので探訪。海水を引き入れたという池を巡った。それから和歌山港の南海フェリーキップ売場に着いたのが午後3時。4時半出港便の受付は4時からだというので売場前の駐車場でウトウトしてハッと目を覚ましたら午後4時。定刻に出港。意外だったのは、ボクはローカルなフェリーボートと思い込んでいたんだが、それが立派な大型フェリー。国道フェリーというヤツ。このフェリーボートに乗って徳島港に午後6時35分に新聞・TVを見ながらちゃっかり到着したという訳。料金は確か8,300円。阪和道・紀ノ川SAで入手した一割引き券を呈示したので割り引かれている筈。セレナの長さが4m60cmもあることを知って驚いた。車長によって料金が違う。信じられないので車検証で確かめたら4m59cmあった。和歌山から徳島へ海峡を一跨ぎして来たというたったこれだけのことを書きたかったらこれだけの文章になった。

12/24(月)西表島「由布島」。牛車で渡る。

〇二日目。西表島に渡る。沖縄県では本当に次いで二番目に大きい島。因みに三番目は石垣島、四番目は宮古島。人口は石垣島が48,000人。西表島は2,300人。この島の8割はジャングル。
↓由布島に渡る牛車が待機している。由布島は浅瀬の向かいに見える小さな島。
水牛。元祖は台湾から渡って来たそう。

この浅瀬を渡る。向かいが由布島。


由布島には真冬だというのに蝶が飛んでいる。アサギマダラ?

島の東に出ると小浜島が見える。
砂浜には珊瑚の破片が一杯。
↓蝶が群れている。



↓ブーゲンビリヤ
八重山猪
猪小屋に飛来した鳥。尻尾の後ろがオレンジ色。



水牛の溜まり場。
戻り。「根性」鉢巻をしている。
〇このあと仲間川を遡りマングローブ林を見て周る。