2012年8月20日月曜日

〇安土城址(二)。天守閣跡、總見寺。

〇本丸御殿跡から天守閣に登る石段

その石段の拡大。

石段に登って上から本丸御殿跡を見る。

石段をさらに上ると「天守閣跡」の標識。

遂に天守閣跡に到達。礎石が綺麗に並んでいる。が、天守閣の建坪は、この小さな領域ではない。礎石が並んでいる範域は、天守閣の地下部分。一階の基礎は周辺の石垣の外側ギリギリにまで及んで建てられていた。それについては後述。



天守閣石垣の上から見た琵琶湖方面。往時は、水田部分は湖面だった。今は干拓されて、わずかに西の湖にかつての面影が残されるのみ。築城当時、安土城の裏は琵琶湖に直かに接していた。安土城から直接船に乗り、対岸の大津・坂本に渡れた。

↓上記の右側。昔日、眼下には湖水風景が広がっていた。

天守閣跡から、二の丸の信長公・墓所を見下ろす。

↓ 黄色塗部分が、天守閣の一階建坪部分。礎石が並んでいる部分は地下部分に当たり、建坪の三分の一程度。天守閣は六階建てだった。如何に巨大だったかが分かる。

天守閣跡から降りて、本丸御殿跡から天守閣石垣を見る。

大手口からの登頂石段の果てにある・安土城郭の図解。

↓ 二の丸、黒金門と下って来ると、大手門に下る大石段と總見寺に至る登り石段の別れ道に来る。總見寺へ。信長が織田家の菩提寺として建てた。


↓近江名所図絵に載っている「安土山總見寺」図。

↓總見寺・境内図。今は、左下の仁王門とその横手の三重塔だけが残る。

本堂跡

三重塔。この塔は、ゆゆしき来歴を持つ。ここには移築されてきた。元は湖南三山の一つ・長寿寺の三重塔だった。長寿寺の本堂は国宝。湖南三山の本堂は皆が国宝。湖南三山で唯一三重塔を残す常楽寺の三重塔は国宝。しかも常楽寺は西寺、長寿寺は東寺と古来ワンセットで呼ばれてきた。そこでボクの関心は、湖南三山の一つ・長寿寺から移築されて安土山に現存する三重塔も国宝級なのかどうかという点。この移築の話は、前回安土城址に登った・その後に知った。



結論は、どうも国宝級とは言えないだろうということ。重文ですらないのは不思議。

仁王門・重文。





仁王門から急峻な坂を下り、山裾の道を巻いて歩いてくると、元の大手通りの大石段に戻る。
〇安土城跡の石段登りはきつかった。右膝を痛めた。この後、太郎坊宮の石段をup down して完全に膝の神経を傷めた。

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