2012年5月16日水曜日

〇越後のミケランジェロ「石川雲蝶」の彫刻は反響が大きい。ので特集を組む。

先ず魚沼市「永林寺」で入手した「越後のミケランジェロ・石川雲蝶」と題した魚沼市観光協会発行の無料ガイドブックを紹介する。これが好いガイドブックで、雲蝶の全作品の鑑賞に繋げることができる。
↓以下三点で「問答無用の素晴らしさ」と謳っている。


〇「雲蝶の人物像。酒好き、女好き、博奕好き。そんな逸話が語る雲蝶の人物像。

1814年、江戸で生まれた。江戸彫りの一流派・石川流の本流門人であり、20代で既に彫り物師として名を馳せていたという。越後入りしたのは30代の前半。越後三条の金物商で、法華宗総本山・本成寺の世話役だった内山又蔵との出会いに端を発する。ちなみに「良い債権と鑿を終生与える」ということが、越後へ来ることを決めた条件らしい。越後三条を拠点に、近隣で創作活動を開始した雲蝶は、後に内山氏の世話で三条の酒井家へ婿入り。名実ともに「越後の人」となった。無類の酒好きで、女性も大好き。さらに、賭場へ通うほどの博奕好き。だが、鑿を握れば神業的な作品を手掛けた雲蝶。越後に来る歳の条件に始まり、賭けに負けた仕事を引き受けたりするなど、債権や女性、賭け事に関する破天荒な逸話を幾つも残している。しかし、明治の中頃に山上の住まいをはじめ、菩提寺の本成寺が火災に見舞われ、彼の素顔を記す資料も焼失。謎に包まれた雲蝶だが、またそれも彼の作品を鑑賞するうえで、想像力を掻き立てる要素となっている。さて、あなたの雲蝶像はいかに。」
永林寺の欄間の天女は、雲蝶お気に入りの魚沼の女性だった‥‥‥



瓢箪に入れた炒り豆を齧りながら仕事をするため、周囲は酒を飲みながら彫ると思っていた‥‥




仕事先のお寺から居なくなったときは、お気に入りの女性の所に泊まっていた‥‥‥


永林寺の仕事を引き受けたのは、弁成和尚との賭けに負けたからだった‥‥‥


休憩中に子供が遊びに来ると、その場で動物の彫り物を作ってやった‥‥‥

〇魚沼市、西福寺・開山堂。魚沼の地で初めて手掛けた大作にして、「越後日光」の異名を持つ彫り物に息をのむ。
↓道元禅師物語・欄間
 鬼退治仁王像
 ↓埋め木細工。いずれ穴が空きそうな板の節などに施された埋め木細工は、雲蝶の遊び心が表れた作品の一つ。本堂の廊下や柱などには、大小様々な埋め木細工を見ることができる。これは、一輪挿しのカキツバタか。
 開山堂向拝彫刻。想像力を逞しくした空想上の動物が数多く彫られている。
 ↓道元禅師猛虎調伏の図・天井彫刻
〇魚沼市、永林寺。13年の歳月をかけ本堂に施された作品。欄間が中心。雲蝶の人物像に触れる逸話も興味深い。
↓ 孔雀/欄間

天の邪鬼/香炉台

蛇身鳥物語/欄間 弁成和尚が雲蝶に語り聞かせた物語を、雲蝶が欄間二枚と板絵一枚からなる三部作にて仕上げた作品。

↓ 天女/欄間 目細、鼻高、桜色という、当時の美人の要素を取り入れた透かし彫り。天女のモデルは、雲蝶が憧れた魚沼の女性とされている。

雲水龍/欄間
 〇もうひとつの石川雲蝶
孔雀遊戯の図/襖絵・西福寺開山堂
↓ 月に群雲/書院障子・永林寺
火防(ひぶせ)地蔵尊/石地蔵・西福寺開山堂
蛇身鳥物語/天井画・永林寺
↓鶏/欄間絵。伊藤若沖を思わせる観察眼。

錦鶏/欄間絵
梅に山雀/欄間絵。
佛興寺、新潟市。千羽鶴/手挟み
長恩寺・南魚沼市。薄荷屋(はっかや)の看板装飾/牌堂装飾。昇り龍や馬に跨る老人。

以下、穴地十二大明神、南魚沼市。
↓酒天童子の大江山の鬼退治(未完成)/欄間。鑿を当てる見当の墨がついたままの未完成作品でありながらも、完成度の高さは雲蝶ならでは。雲蝶の制作過程を探るうえでも貴重な一品。
松と鷹と雀/手挟み

以下、龍谷寺・南魚沼市。
↓得誠和尚の行履/欄間。唐の時代の僧・得誠和尚が雲水をわざと船から落とし、禅問答する様子が描かれている。波のうねりや人物の表情が見事。
唐獅子と牡丹
葡萄と朝顔/欄間。得誠和尚の行履の裏に浮き彫りされている。
瑞祥庵・山門/仁王像。湯沢町
十二神社/向拝。加茂市。龍と獅子

貴渡(たかのり)神社、長岡市。養蚕/長押側面。
石動(いするぎ)神社/向拝。三条市。龍
本徳寺/向拝、燕市。獅子頭
林興庵/欄間。長岡市。
本成寺(ほんじょうじ)/向拝。老人と鯉。
秋葉三尺坊大権現/社殿。烏天狗と若武者

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