2012年5月2日水曜日

〇昨夜(5/1)は館山自動車道・市原SAで泊まった。念願の安房の国を走破した。

昨日5/1(火)は、房総半島を勝浦・鴨川・館山と縫って一周し、館山自動車道の市原SAで一泊した。安房の国の三都市はただ素通りしただけ。多分そうなると思っていたら、そうなった(~_~;)。館山では、x-JapanのYoshikiの生家を探し当ててみようかという思いつきも脳裏に温めていたのですが、準備不足で手掛かりがないので街に入った途端こりゃダメやと諦めました。吾輩は切り替えが早い、見かけによらず。吾輩はYoshikiを音楽家・芸術家として高く評価している、ジョン・レノン級に。冗談でなしに。だから彼の生家を探訪するのには聖地巡礼の意味もちょっと混じっていた。吾輩の予想では、館山市の観光案内にYoshikiとToshiの生家案内が含まれている筈と見ていたが、どうやら予想は外れていたよう。それを許すような下卑た人間ではないということだろうな、Yoshikiは。そう解釈することにした、吾輩は。勝浦市・天津小湊で日蓮の「誕生寺」に寄った。私設駐車場の料金600円はボリ過ぎだろう。さらに探訪予定のなかった、というか寺の名前さえ知らなかった「清澄寺(せいちょうじ)」も訪れた。奥山深くにある、のに大寺院だった。何の因果かこの寺がかの有名な日蓮の旭に向かっての大宣言、「われ日本の柱とならん。われ日本の眼目とならん。われ日本の大船とならん。南無妙法蓮華経」の舞台となった寺。その舞台「旭の森」に立った。日蓮には誇大妄想の気があったなぁ、とちょっと思った。それに法華経のみが釈迦の正しい教えで、それ以外のお経は間違っている、邪教だと排撃したのは思い込みが激しかったなぁ、とちょっと思った。今振り返るとさながら日蓮dayだった。「誕生寺」では「日蓮さまの教え」という教育まんがを買ってちょっとだけ日蓮上人のことを勉強した。市原SAではブログができずに詰まらない一夜を過ごした。五時に夜が明けたのでさっさと出発し、苦手の首都圏を車が閑散な間に突破して、現在関越道・三芳PAでプログ中。ここで一眠りしたら二、三時間経っていた。雨模様で絵は描けそうにない。さてどうするか。それじゃまた(^.^)/~~~

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