2012年4月11日水曜日

〇滋賀県湖西堅田「小野神社」、小野妹子・小野篁(たかむら)・小野道風・小野小町の氏神神社

この鳥居に辿り着くには、旧道にわずかに口を開けている入口小路を発見しなければならない。それが至難で吾輩は和邇地区一帯を探し回った。天皇神社があるのもそのとき初めて知ってついでに探したが、そちらは遂に分らなかった。鳥居の奥に「小野神社」と「小野篁神社」がある。 やや右側の石段を登ったところにあるのが「小野篁神社」、左の小鳥居の奥に鎮まっているのが「小野神社」。


↓先ず左側の鳥居を潜る。


鳥居の奥に鎮まっているのが「小野神社」。 祭神は「天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)」と「米餅搗大使主命(たがねつきおほおみのみこと)」。「小野神社は、小野一族の祖であると共に、餅及び菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子・天足彦国押人命と、同命から数えて七代目の米餅搗大使主命の二神を祀る。今から一千年前の延喜式の神名帳に志賀郡大三座の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。後裔の小野道風が菓子業の功績者に匠・司の称号を授与する事を勅許されていた事を知る人は少ない。」


↓小野神社・本殿


↓次に「小野篁神社」の石段を登る。 祭神は、参議・小野篁命、学問・使節の神として崇敬される。篁は遣唐副使に任じられたが渡海を拒絶して嵯峨上皇の怒りに触れ隠岐島に流された。三年後許されて帰京し、従三位・参議になった。百人一首に「わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人には告げよあまのつりぶね」の歌がある。


↓「小野篁神社」本殿





↑どうやら「飛地境内社」があってそこに「道風神社本殿」があるらしいが、付近を探索してみたが見当たらなかった。

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