2012年1月20日金曜日

〇宮崎県日南市「鵜戸神宮」

鵜戸漁村の方から海岸線伝いに鵜戸神宮に到着。観光バスの通れない細道。
↓「八丁坂」。山中の大駐車場から下りてくる道。昔は専らこの道を歩いて参詣したらしい。この坂の両側には明治維新の神仏分離までは修験道の宿坊・僧坊が幾十も建ちならんでいたらしい。観光バス客や多くのマイカー客は今もこの坂を昇降する。吾輩もかつてこの坂を下りたことがあるが、登りはきつかった。

↓神門

↓楼門



横手に入る門

↓鵜戸稲荷神社



↓「吾平山上陵(あひらやまのうえのみささぎ)」。「ウガヤフキアエズノミコト」を葬った陵があるそう。

↓陵ヘの登山口

↓宝蔵庫だと思われるが、二棟並んでいる。

↓第一の橋

第二の橋

橋からの眺め。奇岩が並ぶ。

中央・洞窟の中に神殿がある。







↓カワラケ投げと同じ趣向で丸い小粒の土玉を丸輪の中の穴凹に向かって投げる。玉は勿論買う。吾輩は勿論挑戦しない。

↓奇岩



↓洞窟

洞窟前

洞窟入口

↓神殿







↓摂社

↓摂社

↓「九柱神社」

↓神殿・真裏

↓「お乳岩」。この岩の由緒を理解するには記紀の日向神話を知らねばならない。記紀神話は何度読んでも頭がこんぐらがるが、この辺りで一度整理しておかないと読者にも不親切だと思われる。天照大神は孫・ニニギノミコトを高千穂峰に天降(あも)らせた。ニニギノミコトは大山祇(おおやまづみ)神の娘・コノハナサクヤヒメを娶った。ミコトはヒメが孕んだ子のタネを疑う。ヒメはミコトの子であることを証すため産屋に火をかけて出産する。生まれた子が兄・海幸彦、弟・山幸彦(ホホデミノミコト)。山幸彦は兄から借りて魚に取られた釣り針を探しに海底を訪ね海神・綿津見神(わだつみのかみ)に歓待される。その娘・トヨタマヒメと恋仲になりヒメはミコトの子を宿す。ヒメは実は鰐・サメ。山幸彦は姫を連れて地上に戻る。出産時ヒメは出産の場を決して覗かぬようにミコトに釘を刺したが、山幸彦は覗く。目にしたのは大鮫。豊玉姫は出産して海に戻る。そのとき乳児のために二つの乳房を残していった。それがこの「お乳岩」だというわけ。今も「お乳水」が滴る。産まれた子がウガヤフキアエズノミコト。このミコトを養育するため豊玉姫の妹・玉依姫(たまよりひめ)が派遣されてきた。成人したミコトと玉依姫の間に生まれた子が神武天皇・カムヤマトイワレビコノミコト。以上が日向神話のあらまし。神話の遺跡候補地を挙げると、天孫降臨地・高千穂峰は薩摩霧島山と豊後高千穂峡が争っている。梅原猛が最近高千穂峡説に与した。大山祇神の墓とされる前方後円墳が西都原古墳群にある。木花咲耶姫が火をかけたという産屋跡は西都原古墳群丘陵の麓にある。ニニギノミコトを祭神とするのが霧島神宮。その子・ホホデミノミコト・山幸彦を祭神とするのが鹿児島神宮・大隅一の宮と青島神社。山幸彦の子・ウガヤフキアエズノミコトを祭神とするのが鵜戸神宮。以上三祭神が日向三代と謂われる。三代目・ウガヤフキアエズノミコトの子・神武天皇を祭神とするのが宮崎神宮。スサノオノミコトが高天原から追放されたり、その子孫・大国主命が国譲りをするのは、日向三代の前の話。

「お乳水」

産湯の跡

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