2012年1月18日水曜日

12/29(木)宮崎県西都市「西都原(さいとばる)古墳群」(一)

西都原古墳群は広い丘陵台地上に展開する。下界の西都市街地から上がって行くと突如別世界・異界が出現したような感じがする。ここに残る古墳の規模や数から見て、古代には西都原を中心にした一大王国・文化圏が成立していたに違いない。現に西都原古墳群の周辺には「日向国衙(こくが)跡」「日向国分寺跡」「日向国分尼寺跡」などが存在している。↓第三古墳群。円墳がほとんど。



円墳の地下式横穴式墳墓から出土した短甲。



↓男狭穂塚古墳&女狭穂塚古墳。合体して見える。宮内庁が陵墓参考地として管理している。鬱蒼たる森に覆われて古墳の形は見てとれない。男狭穂塚は日本一の規模の帆立貝型古墳でニニギノミコトの墓、女狭穂塚は九州一の規模の前方後円墳でコノハナサクヤヒメの墓にそれぞれ比定する説が有力だったが、陪塚から出土した資料の科学的年代測定の結果史実と合わないので否定されている。


↓男狭穂塚・女狭穂塚両古墳を覆う森

↓男狭穂塚古墳の陪塚から出土した船型埴輪





↓同前、子持家埴輪



第二古墳群。ここには前方後円墳が散在する。「大山祇(おおやまつみ)古墳」もここにある。



↓前方後円墳



↓同上



↓同上。これが大山祇古墳だったかな。



↓前方後円墳



↓「鬼の窟(いわや)古墳」。最後に造られた古墳だそう。誰が埋葬されているのか謎のまま。



↓鬼の窟古墳・正面



↓円環土堤の中央にある墳丘墓

↓墳丘墓を取り囲む円環土堤






0 件のコメント:

コメントを投稿