2011年11月19日土曜日

〇「西行」白洲正子著を読んだ。「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

先日、妙高高原池の平にある定宿・シェーネに泊まったとき、そこの本棚に「十一面観音巡礼」白洲正子著を発見した。読むほどに著者の見識と眼力に感心させられた。ママさんが貸して上げると言ってくれたので「返しに来ます」と応えて帰宅してからも読んだ。久し振りに充実した読後感を味わった。ママさんが「西行もあったのに誰かが持って行ってしまった」と口を尖らせたのを思い出して早速白洲正子著「西行」と「かくれ里」を発注した。ついでに辻邦生著「西行花伝」も。そして昨夜「西行」を読了した。数寄(すき)の道を貫き通した西行の生涯。その歌道も、歌壇と無縁。出世・名声欲と無縁。自然と数寄心が一体となって創造された芸術世界。吾輩は画道にもそのまま通じる生き方であることを悟った。数寄の道を貫くこと。公募展や画壇などは俗世のこと。公募展での入選・入賞歴で決まる画壇の地歩を築くことは、審査員の目(人の目)に迎合し、また有力会派に属してその中で立場を確保することから始まる。数寄者のやることではない。吾輩は数寄で全国を遊行し続け、数寄心(自分の目)が感動するところに従って絵を描いていこう。そして自分らしく死ぬ。「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」、これが西行の理想の死に方だったが、実際そうなった。
数寄で絵を描くとは感動に因って感動したように描くということに尽きる。数寄の世界には「抽象画」「具象画」の区別などない。抽象性がなければ絵ではないなどという理論は、数寄の世界には存在しない。

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