2011年8月31日水曜日

〇秋田県白神山地「十二湖」

白神山地そのものは青森県にある。十二湖は秋田県にある。雨中の探訪となった。
十二湖ビジターセンター


センターの横にヤマナかイワナの養殖場があった。養殖魚の巨大さに驚いた。40~50cmあった。
















「青池」。観光スポット。この池の青さの秘密は解明されていない。










〇青森県西津軽郡深浦町「円覚寺」

朝、道の駅・ふかうらを出発したら、間もなく古刹に出逢った。探訪。「円覚寺」・真言宗醍醐派。
↓ 山門
↓ 本堂


竜灯杉


薬師堂


本堂。本尊は十一面観音像。


弁天堂




2011年8月30日火曜日

◇能登町宇出津の聖女

吾輩が大学1回生の夏休みに、能登町藤波の坂の上の家にお邪魔してひと夏を過ごした。坂を下ると藤波漁港で、その港内で毎日泳いだ。そのときお世話になった「和子さん」。今89歳になられたそう。吾輩を見て「あ、たかしちゃん」と憶えていてくれた。みんなと話している様子を見ていると、和子さんの頭は全く衰えていなかった。吾輩が漁港で泳いだのは18歳の夏だから47年前のこと。和子さんの頭脳はその頃と全く同じ働き。神仏の御加護のある人。こんな聡明な頭脳のままに89歳を迎えられるのなら、吾輩も長生きさせてもらってもいいような。とにかく感動を受けた再会だった。みんな来年の再会を口にしていた。別れるとき吾輩は和子さんと握手した。あの夏の日、和子さんは42歳だったんだ。


◇「大勢至菩薩応現地」への巡礼団

今回の「能登百景」の取材は、能登町宇出津の「大勢至菩薩応現地」への巡礼団が結成されたのでその一員になって巡礼旅行をしながら能登半島内浦の名所も巡った。
↓ 勢至菩薩応現の寺に着いた。巡礼団が石段を登る。巡礼団は、吾輩の母方のいとこ達が結集した。6名+1名(従姉の娘。勢至菩薩応現地の発見者) 山門




聖なる文字を実見



平成19年3月25日とは「能登半島地震」当日だといとこに教えられた。ここまでは順調だったが、いとこ達の長姉・七重ちゃんとその娘・素子ちゃん(聖地の発見者)が懸命に寺の住職に当たろうとするが、声も姿も寺にはない。菩薩が応現した状況は遂に分らず仕舞い。この後、近所の料亭で昼食を摂ったら、そこがこの寺の檀家だった。留守だったことを話すと、曰く「いつ行っても留守。住職を見かけた人が帰っていると触れ廻るとここを先途と会いに行く」。こりゃダメや。昼食の後何十年ぶりに会いに行った能登町藤波の叔母さんの話でも「うちも天徳寺の檀家だが、会えない」。住職はまだ若いそう。変な寺。

↓ 本堂。巡礼団のいる所に聖なる文字がある。箒(ほうき)もある。


◇能登百景・穴水町甲の在の「兜山」




〇能登百景・能登町小木「九十九湾」

観光船発着場のある入り江


中央・蓬莱島のある入り江。「ホテル能登きんぷら」の遊歩道を辿るとここに着く。急な段を下りるので、病人には無理。








◇能登百景・穴水湾中居の「ボラ待ち櫓」

穴水湾の入り江・中居の在所。波静かな内浦の風情そのままの絵。 ボラ待ち櫓。櫓の上に老漁師が日がな一日坐ってボラの群れが下に仕掛けた網に入るのを待つ。網に入ったら引き揚げる。




〇能登百景・「恋路海岸」

能登半島内浦「恋路海岸」 左手に奇岩群がある。


奇岩の向こう、珠洲市鵜飼の沖合に「見附島」が浮かんでいる。




2011年8月29日月曜日

◇能登百景・珠洲市「見附島」

8/28(日)母方のいとこ達と能登町宇出津の「大勢至菩薩応現」の寺に巡礼に行った。吾輩のセレナに七人が乗って。お陰様でセレナの大掃除が数年ぶりにできた。紛失物も見つかった。
↓珠洲市鵜飼の海岸にそそり立つ「見附島」。天下の奇観。




〇青森県西津軽郡深浦町「千畳敷」

夕暮れ近く、津軽平野の中心・五所川原市から鰺ヶ沢町に出て、また日本海側の海岸線に出た。海岸線を南下して「千畳敷」に出た。ここは秋田県との県境に近い。






これは大仏岩か。








こちらが大仏岩か。






亀裂の間から間歇的に海水が噴き上がる。






















ライオン岩。ピント・ボケ