2011年5月4日水曜日

5/3(火) 筑豊炭田・直方飯塚田川、英彦山神宮

長躯九州佐賀まで走るので早朝出立。九州自動車道・門司~八幡間が渋滞という案内を見て下道を行く。北九州市の南方の山中の道。先ず筑豊のボタ山を探訪。が、直方・飯塚と辿ってもボタ山どころか炭田の面影すらない。田川の手前に道の駅がありそこで資料を入手。田川に石炭記念博物館があるのを知り探訪。「炭坑節」でお馴染みの「あんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たぁかろ」の煙突が2本、ニョッキリと残されていた。その辺りに三池田川炭鉱の第一、二縦坑があり大施設が展開し鉄道も入り込んでいた筈なんだが、今は二本の煙突以外には何もない。整地され石炭記念博物館が建っているだけ。炭坑節にこれも登場する「香春岳(かわらだけ)」は五木寛之の「青春の門・筑豊篇」に象徴的に登場する不思議な容相の山なんだが、黄砂で全く見えない。実に心残り。

南下して山中深く分け入り大分県境の「英彦山」に登る。これを「ひでひこさん」と読んではいけない、「ひこさん」と呼ぶ。「英彦山(ひこさん)神宮」が目当て。ここは普通の神社ではない。修験道の聖地。出羽の羽黒山を思えばよい。羽黒山では神殿で堂々と読経していた。吾輩は中腹の奉拝殿まで登った。苔むした石段を天高く昇る。ついでに下宮まで足を延ばしたが、その上に中宮、1,200mの山頂に上宮がある。奉拝殿で、若者の修験者集団が修行を終えたところに出逢った。女の子も混じっていた。お尻に修験者らしく狸の皮をぶら下げていて可愛い。年上の女性が語って呉れたところによると、今は毎日山に入る山伏はいない。修験者が歩いた山の道も廃れた。それを同好会を作り皆が参加できる休日などに山伏の歩いた道を辿り踏破して復元しつつあるのだそう。この女性の所属する会は「春風会」。装束も精神も本物の山伏・修験者。

明日は有田焼窯元の集中する街並を見たくて佐賀ICの手前のSAまで来て宿泊。有田焼の陶片を積み重ねて塀や壁が造られているという。想像するだにワクワクする。

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