2011年5月2日月曜日

5/1(日)、四国御遍路、善通寺、金刀比羅宮・金丸座

今朝の手始めに、道の駅の向かいの山道を辿って「弥谷寺(やだにじ)」へ。四国霊場第71番。四国に足を一歩踏み入れると宿業のように御遍路趣味に取り憑かれる。目指すは「善通寺」と「金刀比羅宮」と決まっているのに、案内標示を見るとどうしても順番に嵌る。第72番「観音寺」、第73番「出釈迦寺(しゅしゃかじ)」、第74番「甲山寺(こうやまじ)」と遍路してやっとのことで第75番「善通寺」へ。
「善通寺」。想定通りの大寺。東院と西院に分れ、東西の境内の間を市街路が通っている。大きな五重塔が聳えている、江戸時代末期に着工し明治時代に完成。伽藍はどれも年代が比較的新しい、重要文化財級の建物が乏しい。感動させられたものがある、大楠が二本。圧倒的に巨大なのに樹勢が強い。善通寺の歴史の奥深さと強勢をこの大楠に感じた。
「金刀比羅宮」に登った。これで三度目か。昇り降りの参詣者で参道は呆れるほどの人の波、自分も混じっているのだから世話がない。門前沿道の土産物店街の長さも日本屈指だろう。懲りずにまた登ったのは、写真を系統的に撮るため。奥の院は断念。
旧金毘羅大芝居「金丸座」を探訪。再訪だが。まさに江戸時代の歌舞伎場はかくありなんと思わせる。一見の価値あり。
夕方、瀬戸大橋を渡って中国地方に戻った。四国を西に今治まで出てそこの道の駅に泊まり、明朝「しまなみ海道」を北上して尾道に行くことも考えたが止めた。ここは、福山SA。明日は初めて呉市に入り旧軍港を探訪し、江田島にも渡る。海軍兵学校跡はどうなっているんだろう。

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