2011年5月14日土曜日

5/14(土) 週末の旅に当然出ている

早朝五時半、京都に向けて七尾発。今日は目標が初めから具体的。というのも話は遡るが先の春の大旅行に出発したとき、当初さてどこへ行こうか考えてみたら西国33所観音霊場をいつの間にかもう20箇所近く探訪していることに気付いた。それで残りの霊場を意図的に回って見ようと考えて実行したら残すところ3箇所となった。京都市街のど真中の「六角堂」と「革堂(こうどう)」、そして満願寺の岐阜県揖斐川市・西国33所観音霊場第33番札所「華厳寺(けごんじ)」。そのうち「六角堂」と「革堂」を土曜日の今日探訪し、「華厳寺」を明日日曜日に探訪しようという算段。この週末は西国の天気は好いらしい。
今日の成果。先ず「烏丸六角通り東入る」の「六角堂」を探訪。華道家元池坊のビルに埋もれ牛耳られている。表門の表札を見たら、貫主「池坊専永」だと。親鸞が比叡の山を下りて百日間籠り夢のお告げで妻帯の道の教義上の正当性を確信したという御堂も俗化した。次に寺町通り御池(京都市役所の東側)を北に上がって行くと「革堂」があった。その北近くに「下御霊(しもごりょう)神社」があった。さらに北上すると直ぐに京都御苑の東南角・寺町丸太町に出る。この二つの霊場が確か第18番と19番札所。
今日の本懐はこれで遂げた訳だが、かねて探訪を狙っていた「龍安寺(りょうあんじ)」と「等持院」にも足を延ばした。この二つの寺院は近い。訪ねてみるとどちらも変わっている寺院だった。「龍安寺」は観光客に対しては端から宗教的機能の提供を放棄して観光サービス業に特化している。方丈附属の「石庭」鑑賞と広池(鏡容池)周遊だけさせて観光客を門外に吐き出すシステムになっている。吾輩は仏像を安置してある仏殿などを参拝したい口なんだが近づくこともできない仕組になっている。余計なことはしなくてヨロシということらしい。お寺を訪ねた余韻は全くない。等持院は観光宣伝・観光案内誘導をする気が全くない。お蔭で辿り着くのに四苦八苦。観光バスなど寄せつける気がない、観光バスは駐車スペースが周辺の何処にも用意されていないので寄りつけない。旅行業者は等持院の商品化を諦めているだろう。夢想国師の手になる広大な池庭が方丈の前に展開し、霊光殿に足利尊氏をはじめ歴代将軍の性格を反映した木像が祀られているなどユニークな寺院なんだが。その後京都東ICを目指し山科を通過していたとき、かねて関心のあった「毘沙門堂」の案内が目に入ったので寄って見ることに。もっとももう五時を過ぎようとしていたので閉門されている惧れがあったがとにかくどんな寺院かその雰囲気だけでもと。細い道を辿って山懐に入って行く。意外にも「毘沙門堂」は格式高い門跡寺院だった。午後五時閉門で院内には入れなかったが、堂々たる寺容。石段が高々と三つ並び、頂上に門跡門、勅使門、参詣門が堂々と構えている。門内には宸殿もあるよう。いずれまた来ようと思った。今、名神高速・多賀SAに居る。今夜はここで泊まり、明日33番札所「華厳寺」を目指す。帰路は東海北陸自動車道経由。

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