2011年1月25日火曜日

12/30(木)、大川内(おおかわち)鍋島藩窯(はんよう)跡

案内板によると、「肥前では、現在の有田町を中心とする地域で江戸時代初めの1610年代頃に国産最初の磁気が作られた。佐賀藩は磁器生産を産業として奨励する一方で、1675年頃に肥前の陶磁器技術の粋を結集して大川内山に御道具山(通称「鍋島藩窯」)を開いた。鍋島藩窯で藩の厳しい管理のもとに作られたのが「鍋島」。「鍋島」は江戸の徳川将軍家や幕府の要人、諸大名への献上や贈答のほかは藩主が城中で使用するためだけに作られた特別あつらえの焼物で、一般に販売されることはなかった。妥協を許さない精緻な造形と優雅な作風によって近世陶磁の最高峰に位置づけられている。大川内は三方を岸壁や急峻な山で囲まれ山水画の様な自然景観の中に、藩役宅跡、御細工場跡、登窯跡などが殆ど江戸時代そのままに保存されている。「鍋島」の研究や、鍋島藩窯の制度、陶工たちの生活を知る上で学術的価値が高い。現在も鍋島藩窯の伝統を受け継ぐ窯元が軒を連ね、「鍋島」の伝統を受け継ぐ「伊万里焼」が生み出されている」
↓伊万里焼の橋

案内図も伊万里焼陶板



鍋島藩窯の秘密が漏れるのを防ぐため大川内の入口に関所が設けられていた。関所は今はないが、かつて在った位置に立てられていた説明板。
橋に伊万里焼が設置されている。

大川内は伊万里市街地から数km離れた山懐にある。初めこの地の発見に見当がつかなかったが、JR伊万里駅のインフォメーションセンターを訪ねたら親切なオバサンが指示してくれた。大川内に来てみたら、吾輩が思い描いていた古陶の里とイメージが違う。焼物を積み重ねた塀が連なる絵になる街並、それをこの目で見たかった。が、大川内はその街並と違っていた。吾輩の思い描いた街並は多分《有田焼の里》にある。今回の旅行ではこの後有田の近くを通ることになるが、日程的に寄るのは無理。また肥前に来よう。そして有田焼の里をきっと探訪する。
このあと、降りしきる雪を衝きながら今夜の野営地・道の駅西海を目指した。

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