2011年1月18日火曜日

12/23(木)、石清水八幡宮

「石清水八幡宮」は歴史の檜舞台に登場する。主に源氏の氏神神社として。7年ほど前に吾輩は訪れたことがある。不安定型狭心症で入院し心臓カテーテル治療を受けて退院して数ヵ月後のことだった。入院直前、吾輩は信州の山の麓で絵を描いていて胸の疼痛に襲われた。胸を押さえて独りでうずくまっていた。死を覚悟した。が、やがて血栓が溶けたとみえて胸が楽になった。11月初めの連休の一日だった。連休中そのまま絵を描いて、連休明けに義弟が循環器内科医長をしている公立能登総合病院で診察を受けた。義弟曰く「隆さん、駄目やね、即入院やね」。吾輩は無知で《心臓カテーテル治療》なるものが既に確乎たる地歩を占めていることを知らなかった。義弟はこの治療法の名人だった。義弟は治療中「隆さん、未だ悪運が尽きとらんね」などと悪態をつきながら冠動脈の幾箇所かの狭隘部でカテーテル(細管)の先端に装着したバルーンを膨らませて血管を拡張し或いはバルーンに装着したステント(金属環)を拡張させそこに残置した。治療後吾輩の胸から疼痛が劇的に消失した。義弟が神様に見えた。石清水八幡宮を訪問したのはこのように更生した数ヵ月後だった。大阪地裁で仕事を済ませ、その足でここを訪れた。「石清水八幡宮」という名前と由緒にひかされて一度は訪れてみたかった。二の鳥居を潜ると厭になるようなダラダラ登りの石段が続いた。治療仕立ての心臓の御機嫌を伺いながら慎重に慎重に登った。そして心臓が登坂負荷に堂々と耐え得ることを確認した。嬉しかった。吾輩は「南無八幡大菩薩」と念じながら手を合わせて帰った。あれから7年以上の歳月が流れた。吾輩の心臓はまだ無事でいる。また「南無八幡大菩薩」と念じながら手を合わせることができた。
一の鳥居
鳥居を潜ると「高良神社」に至る門がある。が、その中が工事中で不細工な工事用直方体が建っており門は固く閉ざされていた。
二の鳥居。この鳥居を潜るとダラダラの登り坂が始まる。
「石清水」が何処かにある筈と思って歩き回っても、それらしき遺跡は発見できない。辛うじて該当する箇所としてはここしかない。前回来たときは清水が涸れていた。が、今回は水が流れ落ちていた。
このような石段が延々と厭になるほど続く。
神馬舎。ここに来るとホッとする、登り坂はここまで。
神馬舎前を右折するとこの鳥居が現れる。ここから一直線で神門に至る。
森の奥に神門が見える。
神門
神門を潜って境内に入ると独特の形の外拝殿と内拝殿が見える。
本殿はこのような朱塗りの回廊で四周を正方形に囲まれている。
本殿の背後・奥に幾多の摂社末社が存在する。
本殿の背後の回廊。
本殿の背後にある摂社の一つ「若宮殿社」。ここは女性が参拝する。
摂社「若宮社」。「若宮殿社」の向かって左に並んでいる。ここは男性が参拝する。
本殿の背後に並ぶ摂社・末社
石清水八幡宮が鎮座する山は「男山」。この山頂の眼下に山崎の合戦場が展開し、また筒井順慶が「洞が峠」を決め込んだ峠が山続きにある。京都の鬼門は北東と南西。北東の表鬼門は比叡山・延暦寺が守護し、南西の裏鬼門をこの石清水八幡宮が守護していた。

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