2011年1月4日火曜日

1/3(月)、多賀大社、金剛輪寺

朝目を覚ましたら、女房が夜明け前から運転して滋賀県の草津PAにまで来ていた。Uターンラッシュは全然なかったそう。多賀SAまでそのまま運転して貰ってそこで朝食。彦根ICで下りて、
○多賀大社
○金剛輪寺、に参った。
多賀大社では、境内の隅々まで歩き回って色々な神さんが居るのを発見。
金剛輪寺に行くと、登り参道の両脇にずらりと並んだ子地蔵達それぞれに与えられていた可愛い風車がなくなっていた。冬の雪で壊されるので来春まで取り上げられることになっているらしい。今日確認したんだが「千体地蔵」というのは本当だった。山頂の門の下の子地蔵に一番と二番の番号が彫られ、以下麓の子地蔵へと番号が大きくなる。そして登り口の子地蔵の番号が九九九番と一〇〇〇番。その他番外に子地蔵達が整然と集団をなして祀られている団地が三区画あり、そこに合わせて千体が居ると見られる。それで合計は二千体ということになろう。その二千体の子地蔵達が相変わらず一つ残らず綺麗な新しい涎懸けを着けて貰い足元の花立てに緑色の鮮やかな松の小枝を挿して貰っている。ただ一体の子地蔵もこのようなお世話から外されていない。吾輩が「一つだけ仲間外れにするのは可哀想と思うと結局全部の世話をすることになるんだろうなぁ」と言うと女房曰く「子供を育てるというのはそういうこっちゃ」。女房は子地蔵の花立てが倒れているのを目敏く見つけては直してやる。吾輩も真似しようと目を凝らすが二千体も並んでいるとどれもこれも同じに見えて倒れている花立ての発見に時間がかかる。女房は一目で発見して直してやって行く。人の目は、心が備わっていないと見えるものも見えないし、心があれば見えないものも見えるということを実感。団地にまで入り込んで直してやっている。結局二千体全部の面倒を見た。母心あり。
七尾の家に帰り着いたのは夕六時過ぎ。吾輩の長旅はまた一つ終わったが、まるで一朝一夕の出来事。

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