2010年12月25日土曜日

12/25(土)姫路城、そして出雲国へ転進

今日は午前中姫路をウロウロと。先ず姫路城を探訪。すんなり辿り着いたが、何と天守閣が補修工事中で巨大な工事用立方体で覆われていた。2009年から始まり完工するのは5年後の2014年だと。その時はまた見学に来ないといけないが、生きておるか死んでおるかf(-_-;)それが問題だ(`´)(/_;)。自称「67歳で癌で死ぬ男」、あと3年しか余命がない。話は姫路城だが、天守閣を奪われていても絵になっていた。さすが「国宝・姫路城」。規模が雄大で、形・構成が変化に富む。天守閣が白日の下に輝きを取り戻したらどんなに素晴らしいことかッ\(^o^)/目に浮かぶ!(^^)!仕方がない、寿命を3年ほど延ばす運動をしよう。姫路城のあと「書写山・園教寺(えんぎょうじ)」に登ることに。姫路城の西北に15kmほど行った書写山の山頂にある。「西の比叡山」と称される天台宗の別格本山。山麓までは辿り着けたが、今回はそこまでで終わり。山頂への参道は徒歩でしか登れない。ロープウェイが運行しているが、運悪く「点検整備の為12/1712/27の間運休」だそうでf(*_*; 三百数十mの山頂を徒歩で極めるのは、吾輩の心臓に好くない。書写山参詣は次回以降に持ち越し。ここから旅程をあっさり変更。備中一円を探訪するのを取り止めて一気に出雲の国に向かうことに。岡山一円は名所旧蹟が多い、造山(つくりやま)古墳・吉備津彦神社・鬼が城・備中国分寺・高松城&水攻め痕・後楽園等々。それらは何やかやと一度は訪れている、写真が整備されていないのが不満なだけ。とにかく今回の旅での優先順位が気紛れで低落した。山陽道を見限り、中国自動車道に佐用ICから入り、津山・美作を経て米子自動車道に乗り換えたら雪模様になった。普通タイヤは通行禁止。蒜山高原から道路が白くなった。米子から山陰自動車道道無料区間に入って西の方・安来へ。安来ICを出たのは午後5時頃でもう暗かった。安来から中国山地に向けて広い谷に入って行くと今夜の宿の「道の駅・広瀬富田(とだ)城」がある。あるはずだったが、行けど探せど見当たらない、道の駅が見当たらないなんてそんなことがぁ‥‥。ウロウロオロオロと彷徨ううちに諦めかけた午後6時半、まさかと思った真暗闇の駐車場に入り込み、看板をセレナのライトで照らしたら「道の駅‥」の文字が確認できた。他に1台の車もいない。こんなに寂しく暗い道の駅にお目にかかったことはない。が、確かに公衆トイレが目の前にある。ウロウロ彷徨ったお蔭で、ここが歴史好きにとって垂涎の土地であることを知った。「月山・富田(とだ)城」がまさにそこに在る。戦国時代末期、山陰道の尼子氏と山陽道の毛利氏が雌雄を決すべく激闘を重ねたが、その当時尼子氏が本拠としたのが「月山富田城」。山頂に天守閣が築かれライトアップされているのが遠望できる。付近には尼子晴久その他尼子一族の墓がある。何と!戦国時代を彩る忠勇無双の豪傑・尼子の重臣・悲劇的英雄《山中鹿之助》の銅像まであるそう。さらに「足立美術館」も極近い。明日の予定は多分大幅変更になる。夜が明けたら雪に埋もれてなければいいんだがf(>_<)それにしても静かな夜だなぁ、トラックのエンジン音がしないとかえって変f(~_~;)。それでほはまた明日(^O^)

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