2010年11月4日木曜日

11/3(水・文化の日)妙義山を描いた、が‥

横川SAで目覚めて窓外を見ると‥びっくり仰天、快晴で妙義山が真横にくっきりと迫っている。勇躍して出発、松井田妙義ICで下りて妙義山を目指すと、アッと言う間に妙義神社に到着。神社が背負っている山塊は「白雲山」。妙義山はあと二つの山塊で構成されている。「金鶏山」と「金洞山」。白雲山は絵にならず、金鶏山も絵にならず、最奥の金洞山まで来て描く気になった。金洞山には石門が四つある。描く前にそれに挑戦してみることに。第一石門は近いが初っ端から鎖場があり「蟹の横這い」の腕試しをさせられる。吾輩は悟った、心臓疾患を抱えた者の登るコースではない。第一を潜り、第二を見上げて‥戻ってきた。絵を描き始めたがこれが惨憺たる有様。構図の大失敗(>_<)描けば描くほど悪くなる。結局ギブアップ。こうなると紙ボードは便利。二つに折って踏んづけたら始末完了、完璧。キャンパスはこうはいかない。
旧道で碓氷峠を越えて軽井沢に出た。峠近くで旧上信越本線の赤レンガ鉄橋・メガネ橋に登って歩いてみた。廃線のトンネルも潜った。年寄りの団体がどんどんトンネルを幾つも潜って行くのでついて行ったら観光バスが待っていて乗って行った。吾輩は独りで引き返すことになったが帰路は上り勾配。こうして碓氷峠を列車が越えるのは如何に大変だったかを体験した。勾配は66.7/1,000。視認でかなりの上り勾配であることが分る。歩いてみると数10mで脚が重くなる。これが延々20kmも続く。トンネル内の煙害で殉職した機関士が4人もいた。アプト式軌道で、後退はしないがスピードが出なかった。浅間山が落日の残照を浴びてそれは綺麗。小諸ICから自動車道に入り、三度梓川SAに入り込んで寝た。

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