2010年11月30日火曜日

11/28(日)、京都・東福寺の紅葉

東福寺は京都南の大寺。奈良の東大寺と興福寺の一字あて拝借して命名したという。
東福寺・通天橋からの紅葉の眺めは天下一品の名声があるので生涯一度は見学しておこうとやって来た。人の群れが肩と肩を押し合ってのろのろ進むという有様。
入口の橋の上から通天橋を見通した景色

逆に通天橋から入口の橋を見通した光景

通天橋から経蔵を見る

落葉の絨毯

通天橋から庭園に下りる

庭園から通天橋を見上げる


通天橋



2010年11月26日金曜日

11/21(日)、野洲市大岩山出土の銅鐸群

銅鐸の実物を初めて見て感動。野洲市歴史民俗博物館・通称「銅鐸博物館」に入館。200円と安い。正面に異彩を放つ大銅鐸。実物から複製された等身大の新品の銅鐸、身の丈134.7cmとデカイ、日本最大の銅鐸。往古もこのように真鍮色に輝いていたんだろう。

以下は銅鐸博物館発行の写真集から引用
中央が日本最大の銅鐸。大岩山からは全部で24個の銅鐸が出た。二人の子供が山で遊んでいて偶然発見したのが端緒。

以下の2点だけが東京国立博物館に収蔵されたが、他は村に戻された。戻された銅鐸は行方不明になった。後日研究を始めた梅原末二・京大教授が行方を追及し全点の行方を解明した。この経緯を見ると、銅鐸は当初その考古学的価値を軽視されていた


銅鐸は祭祀用の呪具だった。上端の取っ手で吊り下げ、内側に垂らした金属片を打ちつけて澄んだ金属音を響かせた。銅鐸の奏でる音響は神秘の世界を現出したことだろう。大銅鐸は梵鐘の系譜に繋がるだろう。銅鐸には一寸にも足りない小さなものもある。これは風鈴の系譜に連なるだろう。巫女の舞に付きものの鈴、あれも小さな銅鐸の系譜を引くものだろう。

11/26(金)、週末に電車で京都に行き紅葉の名所を探訪することを目論んでいる

昨晩「彩の会」に久し振りに顔を出した。モデルさんが来ていた。最終回。三女の中学同級生で、同じ町内の子。で、進呈用の肖像画を一気に描いた。会話、「○○ちゃんのお父さんですか」「○○ちゃん、元気ですかぁ」(元気にやってます)「あぁ好かったぁ」。三女は、中学時代は拒食症、高校時代は過食症で各方面に心配をかけた。カメラを忘れて進呈した絵の写真を撮らなかったのが心残り。
滋賀県を走り回って得た感触から、この週末が京滋の紅葉の最盛期と見ている。それでこの週末、電車で京都へ行こうかと。市街地は駐車難だと予想して。これからα1大津の予約状況を検索してみる。

2010年11月25日木曜日

11/22(月)、琵琶湖堅田の満月寺「浮御堂」




コンクリート杭の上に載っていたんじゃぁ風情が無いなぁf(*_*;

11/23(火・勤労感謝の日)、高島水鳥観察センター、小浜市 瓜割の滝・羽賀寺

道の駅の夜明けは期待に反して雨模様。落胆しながらも出発。湖西の岸辺に面白そうな風景を想像させる木立を発見、とっさに道を折れて湖岸へ。高島水鳥観察センターがあった。高島市は旧今津が中心街、ここはその今津の手前の湖岸。琵琶湖にはもう絵になる風景は残っていないと思い込んでいたら、湖北にはまだある。向かいに竹生島が見える所。湖面に浮かぶ水鳥の仰山さに驚かされる。数の多い順に列挙すると、モンハジロ・キンクロハジロ・マガモ・オオバン・オナガガモ・コハクチョウ。センターに200円で入館すると、望遠鏡と図鑑を貸してくれるので物知りになる。湖岸を散歩、絵になる風景が確かにある。だが北風が強くて寒かった。写生を断念して若狭国・小浜へ。黒川宿で昼食。本格的な雨。小浜の手前に「瓜割(うりわり)の滝」の案内が出たのでとっさに道を折れて探訪。近かった。夏でも瓜が割れるほど冷たいんだそう。滝というよりも小渓流。

さらに小浜に近づくと「多田寺」の案内が出たのでまたとっさに道を折れた。重文の仏像を拝むつもりだったが拝観させてくれるのかはっきりしない雰囲気だったので止めて、羽賀寺へ。ここの十一面観音像には何としてもお目にかかりたかった。元正天皇(女性)の似姿像だという伝承。遂に拝顔。

小浜では久須岳に登り眼下の雄大な秋景色を絵にしようと思っていたが、雨天で光が暗くまた山の色がくすんでしまって絵にならない。登山を断念し港のフィッシャーマンズワーフに行き「蘇洞門(そとも)」観光船に乗ろうとしたら、天候不順のため欠航。浜焼鯖・握り鮨(2パック)を買った時点で明日の天気に失望し七尾に帰ることに。女房と晩食を一緒に摂りたくなった。敦賀で北陸道を上るか下るかちょっと迷ったが下り線に。久し振りにアトリエの布団に収まった。セレナの中よりも寝つきにくいのには困ったf(~_~;)

2010年11月22日月曜日

11/22(月)、比叡山延暦寺・横川(よかわ)の秋色

奥比叡ハイウェイ。この紅葉トンネルは序の口、このあと圧巻が展開する

横川中堂

横川・根本如法塔


11/22(月)琵琶湖堅田「浮御堂」、比叡山「延暦寺」

朝目覚めると、セレナの窓ガラスに雨粒がビッシリ付いている。写生は無理。比叡山に登り、前回の探訪で見落とした堂宇を見学することに。特に今回無動寺谷に初めて足を踏み入れる。
琵琶湖大橋袂の道の駅を出発したら、間もなく「浮御堂」の案内標示が目に入った。とっさにコースを折れた。満月寺・浮御堂、今や湖岸からは見えない、現地の寺の境内から見るしかない。風流だったのは昔の話。堅田から仰木道が奥比叡に通じている。この道を辿って延暦寺に登った。奥比叡ハイウェイは紅葉の盛り、それは見事な紅葉だった。素晴らしい紅葉は横川まで。西塔・東塔あたりに来ると大したことはない。比叡の山上は今回もひどい靄の只中。横川は前回見落とした「根本如法塔」を見るために寄った。紅葉に溶け込んだ如法塔は幻想的に美しかった。西塔では「椿堂」と「相輪塔」「みろく石仏」を見落としていたので寄った。見学を果たした。が、感動はない。東塔は、前回靄がひどくて写真になっていなかったので挽回を期したんだが、同様の靄。無動寺谷へは東塔から下って行く。延暦寺は山上に「延暦寺消防隊」を独自に組織している、赤いポンプ車とジープが各一台。その消防隊の前の道を辿る。てくてく行くとやがて坂本ケープル「延暦寺駅」に着く。駅の横に鳥居が建ちそこに「無動寺参道」が口を開けている。延々と下る、帰路を思って気が重い、足も重い。吾輩は心臓患者。鳥居は弁財天堂のものらしい。四つ目の鳥居を潜り弁財天堂にようようにして到着。そこから不動「明王堂」は近かった。この明王堂は只者じゃない。有名な比叡山の回峰行はこの明王堂を根拠地にする。行者は不動明王の化身となり不動明王を擬した衣装で回峰する。明王堂は絶壁の上に建っている。この堂の下を行くと「大乗院」がある。親鸞上人が居住した所という。親鸞の修行地は西塔の「にない堂」の隣地にもある。大乗院を下ると「玉照院」があり、そこに行き着くと道らしきものは途絶える。吾輩は遂に道を極めた。付近の山中に分け入ると紀貫之の墓があるそうだが、吾輩の足というか心臓ではとてもとても(>_<)。そしていよいよ地獄の帰還・長い上り坂が待っていた。が、来るときに空想の中で地獄の苦しみを既に味わい尽くしていたせいか意外と楽に、休み休みながら東塔に帰り着いた。すると霧がやや晴れたので急いで東塔の堂宇の写真を撮った。中でも朱塗りの阿弥陀堂と如宝塔のコラボ写真を撮れたのは望外。山上を歩きながら明日の予定もほぼ立った。明日は絵を描こう、若狭地方に転地しよう。それで奥比叡ハイウェイを元来た様に辿り仰木道も来たままに戻りまた堅田に出て、それから北上し高島市の「道の駅・藤樹の里あどがわ」に入った。高島は「中江藤樹」の出身地。電波を飛ばしたら一発で接続したのでここが今夜の宿となった。亀岡の西隣「南丹病院」勤務の二女にメールをいれ、明日の親子再会はキャンセルに。問題は明日天気が回復するかどうかということと、絵になる所があるかということ。問題あり過ぎぃ(>_<)、前途は険しいf(*_*;

11/21(日)、近江八幡「八幡堀」の風景

川面と同じレベルの遊歩道も整備されている、これが好い。



2010年11月21日日曜日

11/21(日)近江八幡、西の湖、野洲の銅鐸博物館・錦織寺・兵主大社

今「道の駅・びわ湖大橋米プラザ」に居る、電波が一発で通じたので気を良くして今夜はここで泊まる。今日は遺憾なことに絵を描きそびれた。朝、近江八幡市街に入り近江商人の旧宅街・日牟礼八幡神社と探訪し、お目当ての「八幡堀(はちまんぼり)」の岸端の遊歩道を歩いたら黄葉と橋と水面の取り合わせが絵になっていた。が、道具はセレナに積んだまま、先ず取材探訪をしようとカメラを肩に身軽に出掛けて来たので取りに戻らねばならない。市営駐車場に入れたんだが駐車係が何人もいて睨まれそう、時間無制限で500円、ちと高いから一日占拠してもいいだろうと思うが観光日和で車の出入りが激しい割に収容能力が低いのでつい気兼ねしたら億劫になった。それに温か過ぎて体がだるくなって気持もだらけてf(*_*; 黄葉の時節、八幡堀は絵になることが分っただけでも収穫と言い訳して近江八幡を後にした、もう11:30頃だったかな。次のお目当ては近隣の「西の湖」、住民の自称では日本一の水郷地帯。ここにただ一つ絵になる地点があるんだが、遺憾なことにそこは危ないf(~_~;)。歩道がなくて路側帯だけ、それが狭くてイーゼルも椅子も車道にはみ出す。まさかはねられることはないと思うが、結構交通量が多いから分らない。パトカーが来ようもんなら必ず摘発される、「ちょっとちょっとそこのオタクぅ、交通の邪魔ッ<`ヘ´>それに身が危険でしょう。即撤収しなさい(`´)」。絵を描き出したらパトカーが来そうな気がして断念f(-_-;)。西の湖界隈を走って野洲へ。野洲では収穫が多かった。先ず銅鐸博物館の案内表示を発見して入館、200円と安いのに立派な施設で中身も充実。近くの大岩山から出土した銅鐸は何と24個も、中には日本最大、身の丈1m34cmのもある。最近銅鐸に関心が出ていたのでjustタイミング!(^^)! それから「錦織寺(きんしょくじ)」に詣でた。豪壮な大寺。名さえ知らなかったが、浄土真宗八宗派の一つ「木部(きべ)派」の総本山。これで本山四つに詣でたことになる。本願寺派=京都・西本願寺、大谷派=京都・東本願寺、興正(こうしょう)派=京都・興正寺(ここに京都の従姉が嫁に行っている、もうおばあちゃんで坊守を引退しているはず)、木部派=野洲・錦織寺。残りの本山は全部福井県に在る。鯖江に二つ、あとは福井と武生に一つずつ。福井県は近いから全本山を詣でることが期せずして射程に入った。錦織寺のあとは「兵主(ひょうず)大社」に参詣。庭園巡りが500円と高い。この神社も名さえ知らなかった。が、大社の名にし負う神社。八千矛の神=大国主の命を主祭神とする。延喜式内社で「名神大社」。野洲は古代から人文の豊かに展開した地域なのだということを半日かけて学んだf(~_~;)。明日は天気が崩れるらしい、やっぱり今日頑張って描いておくべきだったなぁ(+_+)。

2010年11月20日土曜日

11/20(土)、滋賀県「余呉湖」で写生

読者の期待に応えて今週末もまた出動。07:45七尾発、正午前滋賀県余呉湖に到着。正午写生開始、14:30筆を措く。写生日和。

その後、湖東三山巡りを開始。最初は西明寺(さいみょうじ)。本堂と三重塔が国宝。意外なことに近江の国は紅葉の盛りに未だ達していない。盛りは11月下旬から末頃か。紅葉の探訪は西明寺だけにして今夜の野宿地へ。それは道の駅・あいとうマーガレットステーション。電波を飛ばしてみたら一発で繋がった。ので、気を好くして亀岡市西隣の南丹病院勤務の二女に連絡をとったら、なんと研修で軽井沢に居た。これで明日も写生に決定。何処で描くか‥‥それが問題だ。

2010年11月19日金曜日

10/10(日)、串本「橋杭岩」

串本漁港を過ぎると見えてくるのが「橋杭岩」。天下の奇岩列。写真に写っているのは列の半ばまでで、右へさらに流れて大島の近くまで続いている。


岸に接する根元側の三岩。

次に続く三岩。


中央が吾輩命名の大仏岩。両脇に脇待仏。


大島に向かって延びる残り半分の岩の列。


イソヒヨドリが飛んで来た。

奇岩列の真ん中に位置する大岩。その中央の岩に夜叉面が見える。

左に大仏岩、右に夜叉岩。

大仏岩

2010年11月14日日曜日

11/14(日)、長野県池田町美術館の丘の上で描いた

今日は一日どんよりと雲と黄砂に覆われた日。降らなかったので池田町美術館の丘の上で描いた。女房が九時頃に着くというので時間前にそこに行ったんだが、女房の車はいつまで経っても現れなかった。散歩しながら描くか描かないか迷ったんだが、描くことに決断、10時頃か。11時頃女房から携帯電話、富来のおばちゃんと一緒に安曇野野菜や果物を買い漁っていたらしい。11:30頃女房と富来のおばちゃんが現れた。正午数分前に筆を措いた。↓構図が小さくて雄大さが無い、面白くない。ま、今日の気象じゃ仕様がないかf(-_-;)

おばちゃん手製の稲荷寿司と玉子焼きを昼御飯に貰った。二人の記念撮影をした後、女房達は安房峠越えで、吾輩は白馬・姫川の谷伝いにそれぞれ家路に着いた。午後5時ほとんど同時に家に着き家の前で顔を合わせた。おばちゃん曰く「檀那さん、わてらの後付いて来たんね」。そんなことはない。木崎湖でスケッチもしてきた。

2010年11月13日土曜日

11/13(土)、妙高高原・いもり池、晩秋の黄砂の中で

早朝六時前に七尾を出たが、朝食を摂った有磯海SAで八時前、極度の睡眠不足なので自重して寝室で仮眠をとったら随分と眠っていた。妙高高原いもり池到着はもう昼近く。そこに至る道中も、いもり池も酷い黄砂で戦意を削がれた。致命傷はお目当ての池の中島の紅葉美人の大つつじが葉一枚も残さずに無残な姿になっていたこと。がっくりときてどうするか考えながら池の周りや展示館を巡った。そのうち陽が少し射し唐松の黄色が綺麗に見える景色を見出したので描いてみることに。昼過ぎから描き始め午後二時に筆を措いた。もう四時過ぎかと思ったらまだ二時。

女房が明日安曇野にお出ましになると聞いていたので、シェーネ宿泊を止めて梓川SA泊まりに変更。多分安曇野の何処かで落ち合う。黄砂が酷くなければ池田町美術館の丘の上で今度は爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳を遠景にした絵を描くつもりだったんだが、この黄砂の按配じゃ絵にならないだろう。

2010年11月12日金曜日

八ヶ岳へ行くぞぉ!!

昨晩「彩の会」会員《山中英彦》氏(一水会会友)の古稀祝賀会があった。その席に山中氏が八ヶ岳でスケッチした画集を持参し披露して呉れた。それを見ながら彼に質問して八ヶ岳のビューポイント情報を得た。
○平沢峠。ここへは野辺山駅から入る。この駅は、日本で最高所にある駅。
○まきば公園。平沢峠からさほど遠くない。
八ヶ岳に取りつく島を得た。今度描きに行くぞぉ(`´)/
「Grand Touring Japanアウトバックで行く日本の旅」で検索した情報◆車では野辺山駅前の道路を線路沿いに走り、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の巨大なパラボラアンテナ群を左に見ながら、野辺山スキー場入り口を右折してしばらくすると平沢峠(飯盛山登山口)に到着。駐車場(無料)は観光バスが何台も停まれるスペースがあります。2005年夏以降はようやく駐車場も舗装されトイレ等も設置されました。
また週末になった。ずっと天気が勝れない。予報によると新潟方面は明日土曜日だけ悪くない。妙高高原の紅葉はこの週末が最盛でラストチャンスだろう。明朝早々に出発して描いて来ようと思う。日曜日は天気が悪いらしいからシェーネでゆっくり過ごすのもいいかも。アッ今気が付いたけど、山崎事務長から旅費を貰うのを忘れていた。彼はさっき帰った。クソッ<`ヘ´>(/_;)

11/4(木)、駒ヶ根高原「駒ヶ池」の絶景

ここは全国屈指の絶景の一つ。駒ヶ根高原には多くの観光客が訪れるが、観光バスの走るルートから数百メートル外れたこの池にまで足を運ぶ人は驚くほど少ない。勿体ないこと。


2010年11月11日木曜日

11/2(火)、戸隠「小鳥ヶ池」

戸隠「鏡池」で描いていた絵を午後早々に切り上げて、定宿「シェーネ」のマスターに教えてもらった「小鳥ヶ池」に寄ってみた。期待していなかったんだが、予想外に好い風景だった。絵になる。
遠景の山は「戸隠山」



池の周りを一周してみた。対岸に来たら「戸隠スキー場」が真向かいに見えた