2010年5月6日木曜日

5/6(木)、今夜は福島県喜多方市の田舎「道の駅・喜多の郷」でお泊まり。

夕暮れになったので寄ってみたらとんでもなく立派で大きい道の駅、気に入ったので今夜の寝場所はここに決めた。
今朝は寒河江(さがえ)SAで五時に目が覚めて、手入れしてなかったパレットを手入れしたりしていたら時間が経って食堂が開いたので朝食を摂って出立した。寒河江ICで下りて一年振りに山形盆地に入ったら、目的地の「大淀」がICの北か南かそれすら分らない。とりあえず北上したら馴染みの「道の駅・寒河江」があった。が、ここより北か南かやっぱり分らない。九時になったら施設の中に入れたので土産物店のオバサンに訊いたら親切に教えてくれた。北上。そして「大淀」は→(右折)の標識、記憶が漸く蘇った。到着が十時、準備して描き始めたが、この時点で午前一枚午後もう一枚の予定はキャンセルして、午後は道の駅・寒河江で仕入れた情報で重文一杯の古刹「慈恩寺」があることを知ったのでそこの探訪に費やすことに。正午の時報が鳴ったとき筆を止めた。そして慈恩寺へ。まさに古刹、仏像は重文級がゴロゴロ。が、本堂の秘仏33体を拝見できないのは残念、何せ説明してくれた人がこの寺に50年いて一度しか拝見してないというんだから致し方なし。薬師堂の薬師如来像と日光・月光両菩薩像、背後に控える十二神将像を拝見することが出来た。いずれも小像だが重要文化財、見応えがあった。本堂の片隅に阿弥陀仏像が置かれていたがこれは丈六大仏の胎内仏だったそう、丈六仏の頭部だけがかつて寺に保存されていたが窮乏した折古物商に売られたという。この後いよいよ連休旅行の最後に妙高・信州に入り脇目も振らず絵を描こうと帰路に就いた。ところが山形道から東北中央道に乗り換えたらこれが中途半端で米沢の郊外の下道を走ることに。そしたら「上杉神社」の標識が出たので行き掛けの駄賃とハンドルを切った。かつて家族旅行で来たことがあるが、家族と一緒だと思う存分歩き回れない、全容が分らない。今回上杉神社の全容理解に挑んだ。が、午後四時には拝殿に至る神門が閉ざされていた。それでも歩き回ってほぼ全容を得た。米沢城跡にある、軍神・上杉謙信公を祭神とする、本殿の屋根に千木・鰹木はない、謙信公の遺骸はかつて本丸の一隅を廟としていたが(越後から謙信公の遺骸を詰めた甕を会津へ、そして米沢へと移したそう)今は市内の上杉家の廟に移されている、別格国幣社だった、伊達政宗はここで生まれた。夕暮れが迫る中とりあえず喜多方を目指していたらこの道の駅に辿り着いたという訳。明日は早くにここを立ち関越道・北陸道を伝って妙高に行く。天気が好ければ午後に一枚は描ける。それじゃまた明日(^O^)/
ところで僕の発見した海辺の観音様、感想はどうですかぁ。

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