2010年5月4日火曜日

5/1(土)、今夜の泊まりは下北半島。

今19:45、むつ市から野辺地に向かう途中の「ゆとりパーク」に跳び込んだ、今日はもう目標の浅虫温泉の道の駅に行くのは止めてここに泊まる。目下セレナ一台切り、ここは辺境の地だから夜が明けても僕の外には誰も泊まっていない可能性が大。浅虫温泉は今からだと遠過ぎる。それにしても道の駅「ひろさき」は旅の通達に人気があった、朝目覚めたら何と満杯になってみんな寝ていた、夜寝るときはパラパラとしか居なかったのに。
今日は05:00にお目覚め。06:00に十和田湖に向けて出発、十和田湖に着いて湖の北周りで「子の口(ねのくち)」に行くコースを選んだらこれが山岳道路で峻検な尾根伝いに走る、天気が悪く霧が出てしかも路面は積雪、冬タイヤのままで良かったと思える瞬間が来るには来た。今日も最悪ペースに嵌るかとウンザリしながら奥入瀬渓流の流れ出し口の「子の口」に到着。07;00には渓流沿いの国道を下り始めた。殆ど車は来ない、観光客との勝負は「機先を制す」るに限る。渓流沿いの遊歩道を1万数千歩散策、写真も撮りまくった。この散歩、雨に見舞われなかったから幸せ。子の口から直ぐの「銚子大滝」を眺めながら、小学校の教科書で読んだ「和井内貞幸(わいないさだゆき)」の話を思い出した。十和田湖でヒメマスの養殖を成功させた人だが、幾らヒメマスを放流しても海に出た彼等は帰って来ない、その原因が滝にあると考えヒメマスが昇れる傍流を作って遂に成功したという話。話の滝が「銚子大滝」だと分った、この滝なら龍になる鯉でも昇れまい、何せ普通の滝と構造が違う。傍流も滝の横にそのままあった。この話、妻の支えがあったればこそという筋立てが隠し味だったような気がするなぁ、妻の名は「節子」?。10:30頃奥入瀬渓流と別れた。次に目指すは…下北半島先端、「恐山(おそれざん)」。八戸の北に出てそこから下北半島・太平洋岸を北上したが、この半島は能登半島級にデカイ、目標のむつ市の遠いこと。途中睡魔に襲われ続けて危険水域を突破したので名も無い神社の境内で仮睡、目覚めたら1時間経って時計は4時を大きく回っていた。恐山に着いたのはもう5時近く。恐山には驚かされた。ここは神社寺院とは範疇を異にする。まさに『霊場・恐山』。異界。「いたこ」の婆さんも自然発生する筈。僕も水子供養のお地蔵さんの前に来たとき、陽の目を見ることなく母親の胎内で9ヶ月目で亡くなった双子の娘が現れた。二人は一緒にいた、お父さんが「あの世」での務めを終えて「この世」に来るときまでいつまでも待っている、ということだった。二人にすれば「この世」は「あの世」で、我々の「あの世」こそ「この世」なのだ。お父さんはもう直ぐ行くぞぉ、そう誓った。双子の名は、坊さんの付けてくれたのが「智子」と「信子」、だが僕はずっと気に入らない。そこで30年掛かって温めた名が「雪」と「桜」。「この世」にいる三人の姉妹の名は合わすと「さと」の「あき」「なつ」、里の四季に冬と春が足りない、そこで雪と桜という訳。双子もにっこりとしてくれるのじゃないか。恐山に伽藍はないと思っていた、しかしそこには立派な伽藍があった、配置も好い、境内に硫黄温泉の「男湯」「女湯」もある。何処の宗派にも属さない、地蔵堂を本殿・本堂とする伽藍、そこには宗教発生にまで遡る宗教の原型がある、自ら称して「霊場・恐山」。本州の北端まで来たら、明日からは南に下るしかない。さて何処に行くか。先ずは青森に出る。青森には何もないから八甲田山に分け入るしかない、するとまた奥入瀬渓流に出て今度は遡上して十和田湖に入ることになる、それなら20年前家族旅行で来て快晴の日の十和田湖のブルーに出逢って目を瞠ったことがある「初荷峠」に出たい、そうなると秋田県大館市に下りる。その先は全く未定。今日は朝から快晴\(^o^)/

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